ポジ熊の人生記

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ルッキズム(見た目による差別)について

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遅まきながら「ルッキズム」という言葉を知りました。

容貌(見た目)による差別、または他者を差別する段階にまで至った外見至上主義のことを指す。

どこまでを差別の問題ととるかは非常に多様であり、顔面に障害をもった人に対する就職・結婚等の差別を想定する場合もあれば、会社の受付係に美しい女性だけを配置することを批判したり、ミスコン・ミスターコンテストの類に反対したりする場合もある。

ルッキズムとは - はてなキーワード

一言でいえば「見た目による差別」です。

インターネットにおいて(現時点では)「ルッキズム」という言葉を説明しているサイトは少ないように思えます。

ルッキズムについて(1/2) - アイデア置き埸

ルッキズムについて(2/2) - アイデア置き埸

論理的な考察はこちらのサイトが詳しいです。

今回は自分の経験談を踏まえた「ルッキズム」に対する思いを書きます。

外見への中傷

就学児~青年期にかけて肥満体だった僕は、外見上について色々な言葉を、主に同級生から受け続けてきました。

 

「デブ」というのが基本で、さらには「豚」「贅肉」など、自尊心をこれでもかとエグらんばかりの中傷を浴び続けたのです。 

 

そのほかにも、鼻が低いことや頭が大きいことをからかわれたりもしましたが、いちどたりとも心が揺れなかったことはありません。その場で激高したり泣き崩れることはありませんでしたが、日々蓄積していく中でそれがあふれ出し、極度に感情的になることも時折あったことを記憶しています。

 

「デブで何が悪い」と開き直ることも、難しかったです。なぜなら、太る原因というのは自分の摂食行動などの生活習慣と密接に結びついているわけですから、悔しかったらそれを改善すれば良いだけでは?という至極まっとうな理論を振りかざされて火を消されることがほとんどだったから。中傷される立場としては、戦えないんです。矛もなければ盾もない、苦しい撤退戦を毎回強いられていました。とても悔しいし、やるせない。

 

子供の頃は、その悔しい思いを解消に向けさせるほどの確固たる意志は持ちえず、ただ泣いて怒って業を煮やすのが関の山でした。が、大人に向かうにつれて次第にこのストレスへの対抗策を講じ始めます。

 

まず、中傷に対するお道化です。抗っても、吹く風に正対しては体にかかる圧が高まるだけ。ならば、それを利用して踊ってみようではありませんか。こうすることで、相手と摩擦することなく、その場を笑いで包むことすら可能にしたのです。が、確実に自尊心はポロポロと崩れていました。自分の知らないところで、深い心の奥底では、悲鳴を上げる僕がいたのだと思います。申し訳ないことをしました。

 

次の段階は肉体改造です。平たく言えばダイエットです。体重をこれでもかとばかりに落としました。1年間、夕食を抜くという壮絶な行動を起こしました。その結果、体重は45kg落ちて、自信をつけるには文句のない躯体を手に入れた。しかし、闇は心を確実に蝕みました。1年という歳月は、病になるには十分すぎるものだった。摂食障害や美醜コンプレックスなど、様々。未だに引きずって生きています。

 

道化にしろ肉体改造にしろ、結局は心に闇を落としました。結果オーライじゃないんです。本当は、ありのままの自分で表現したかった。へんてこなコンプレックスを抱いたまま大人になんてなりたくなかったです。いつまでこの闇と向き合えば良いのか、見当もつきません。もしかすると、一生このままかもしれない。それも仕方のないことです。自分が選んできた道なのだから。

 

けど、あとを追ってほしくない。差別からの脱出を図っても、呪いは消えないのです。

 

ルッキズムに対する思い

見た目による差別は、根絶すべきです。ルッキズムという言葉は、もっと世間に広まるべきだ。そして、人口に膾炙して誰しもがそれを問題ととらえる社会を切に望みます。端的な思いは、これだけです。

 

しかし、自分自身で矛盾を孕んでいることを自覚しています。異性への恋愛感情を抱くにあたり、外見に影響される要素が大きい。これって、ルッキズムじゃないでしょうか。生物として仕方のないこと、と開き直ることができるのか。もし、そうすれば、外見上醜悪なものへの蔑視までをも肯定してしまいかねない。かつて自分が受けた中傷を、正当化してしまうことになる。

 

じゃ、どう考えればいい?本当に、外見に寄らずに心で異性を好きになれる日が来るのか。歳を重ねるごとに外見と心の判断基準は揺らいできています。しかし、現時点でそれがまだ生きていることもまた事実なんです。この想いを抱いたまま、ルッキズムを声高に批判することは、難しいのかなって。

 

ルッキズムに対して大っぴらに批判を展開できない心理としては、誰しもこの矛盾を内包しているからではないでしょうか。セクハラ問題で某コメンテーターが、イケメンがやった場合はまた違う、と公の電波で述べてしまうあたりにも、それが見えます。

 

雑誌の表紙が美人のお姉さんで飾られるのが当たり前のコンビニ書籍陳列コーナー、美男美女しか出てこない青春映画、ジャニーズ事務所。市場もルッキズムに支配されて、がんじがらめの状態です。

 

矛盾としては、あとは見た目を気にするところでしょうか。「見た目で人を判断するな」といいつつ、小ぎれいな格好をして靴を磨いて外に出る。どうなんでしょうか。ここらへんは社会性なども相まってなかなか難しいラインになってくるのでしょう。生まれながらの姿を腐さなければOKで、上乗せで身にまとうものについては物言いしない?しかし、上乗せするもまた各個人の個性によるところで、それが人物像を反映している部分もあり。うーん・・・なんとも言えません。でも、これが助長した結果が「清潔感のある人はモテる」であって、行き過ぎている部分もありますよね。

 

対抗策

対抗するにしても、まずは意識付けが必須です。世間のみんなが、見た目による差別を良くないものと認識すること。ここがスタートラインです。少なくとも、今のルッキズムありきの世間(市場)を当たり前と思うような意識は、変えていかねばならない。

 

「言葉にはできないし、悪いことだとは分かってるけど、でもさ、ほら、仕方ないじゃん」という意識を潰す。仕方ない、で生まれながらの差別を生んでいる現状を肯定させてはいけない。

 

各自矛盾は内包しているかもしれないし、簡単にそれを消すことはできない。けど、少しでも「それは良くないこと」と認識して、無意識と戦いながら外見による差別を可能な限り無くしていく。地道な自分との闘いになるんじゃなかろうかと。

 

難しいテーマでした。これで終わります。