日本人監督作品としては21年ぶりに、第71回カンヌ国際映画祭(英語版)において最高賞であるパルム・ドールを獲得した当映画。
管理人も早速観てきましたので、その感想を書きます。
※ネタバレを含みますのでご注意ください。
ストーリー及びキャスト
ストーリー
東京の下町に暮らす、日雇い仕事の父・柴田治とクリーニング店で働く治の妻・信代、息子・祥太、風俗店で働く信代の妹・亜紀、そして家主である祖母・初枝の5人家族。家族の収益源は初枝の年金と、治と祥太が親子で手がける「万引き」。5人は社会の底辺で暮らしながらも家族には笑顔が絶えなかった。
冬のある日、近所の団地の廊下にひとりの幼い女の子が震えているのを見つけ、見かねた治が連れて帰る。体中に傷跡のある彼女「ゆり」の境遇をおもんばかり、「ゆり」は柴田家の6人目の家族となった。
しかし、柴田家にある事件が起こり、家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれの秘密と願いが次々に明らかになっていく。
キャスト
柴田治:リリー・フランキー
柴田信代:安藤サクラ
柴田亜紀:松岡茉優
4番さん:池松壮亮
柴田祥太:城桧吏
ゆり:佐々木みゆ
柴田譲:緒形直人
柴田葉子:森口瑤子
北条保:山田裕貴
北条希:片山萌美
川戸頼次:柄本明
前園巧:高良健吾
宮部希衣:池脇千鶴
柴田初枝:樹木希林
ネタバレあらすじ
以下物語の流れを箇条書きで。
- 治と祥太がスーパーで万引き
- 帰り道に寒空の下ベランダに出されているゆりを発見
- ゆりを保護するため家に連れて帰る
- 夕食後にゆりを家に帰そうとしたが、家の中から男女で争う声が聞こえたため再度家に連れて戻る
- そこからしばらくは、なし崩し的にゆりと柴田家の共同生活が始まる
- 柴田家の長である初枝は年金+生活保護受給で単身暮らしであり、訪問する民生委員にはほかに生活している住人のことは内緒にしている描写がある
- 治は日雇いの建設現場で労働中に足にヒビが入って帰宅する
- 治の怪我に労災は認定されず(解雇されたと思われる)
- 信代はクリーニング店でパートタイムとして働く最中に客の衣服から出てきた装飾品をくすねる描写がある
- ゆりが柴田家に来て2か月後、テレビの報道でゆりの行方不明を報じているところを柴田家が確認
- ゆりを家に戻そうか算段するが、ゆりの意思で柴田家に残ることとなる(散発して名前を変えるが、以下「ゆり」で続ける)
- 亜紀は風俗店で働く描写がある(マジックミラー越しに男性客に煽情的なポーズや仕草をする店)
- 柴田家(主に治・信代・祥太)とゆりの絆は日ごとに深まっていく
- 祥太とゆりで駄菓子屋で万引きを働くが、店主に見抜かれて「妹には万引きをさせるな」と忠言を受ける。この頃から祥太の中で万引きを始めとする窃盗行為をすることに懐疑の念が浮かぶようになる
- 初枝は、別れた夫の息子夫婦の家をたびたび訪ね、帰り際に金一封を受け取る描写があり、その家の長女は風俗店で働く亜紀であり、現在はオーストラリアに留学中ということになっている(両親は、柴田家に居候して風俗店で働き地元にいることを知らない)
- 柴田家が海で団らんして楽しい夜を過ごしたのち、初枝が亡くなる
- 初枝の葬儀や火葬は難しいと判断した治と信代は、家の基礎下に初枝の遺体を埋める
- 祥太はゆりに万引きをさせたくなくて単身スーパーへ入って万引きを試みるが、ゆりが言いつけを聞かずにスーパーに入って一緒に万引きをしようとしたため、祥太がわざと店員に見つかるように派手に商品を持ち出して逃走、結果高架から飛び降りた祥太は足を骨折し、警察に補導される
- 警察に呼ばれて病院に来た治は、信代を呼びつけて、すぐに戻ると嘘を言い病院を出て、その夜に夜逃げを敢行する(祥太を見捨てる)
- 玄関を出たところで警察に捕まり、ゆりの誘拐、初枝の死体遺棄の容疑で治と信代は逮捕されてしまう。
- ここからは治と信代の尋問に対する独白、亜紀は警察との対話による独白、祥太は警察との会話により現在の心境を綴るシーンが続く
- ここで初めて、信代の過去や柴田家の全貌が明らかになる
- 祥太は施設に入って学校に通えることとなる
- ゆりはもとの両親へと戻される
- 信代は罪を一身に背負って懲役5年で刑務所へ
- 治は刑務所に入らず執行猶予?で一人暮らしへ
- 亜紀はすべてを知り、茫然自失となる(実家に戻る等の描写はないが、初枝の家を再び訪れる描写はある)
- 刑務所に入った信代に面会した治と祥太。祥太に対し信代は、祥太を拾った経緯と「会いたければ本当の両親に会える」と祥太に情報を提供する
- 治と祥太はその夜、一緒の家に泊る。治は「俺はおじさんに戻る」と述べ、翌朝に今生の別れと思われるシーンがある
- ゆりがベランダでビー玉で遊んで、柵の外の世界を見つめるシーンで映画終わり
感想
万引き、という言葉でちょっと抵抗がありました。映画のチケット買う時も「万引き家族1枚」の「万引き」のところでグっと変な抵抗が喉を襲いましたし。万引きというのはご存知窃盗で立派な犯罪なわけで、犯罪は社会では穢れとして忌避され目に見えないように隠されているものであります。しかし、ここを映画名として持ってくるあたりは、相当な覚悟を感じますね。
で、その万引きがいったどのような物語の広がりを見せるのか。どのようにして観衆を引き込むのだろうか。心温まるハートフルストーリーに、どのように持っていくの?という、映画の構成について色々な想像をしながらスクリーンの前に鎮座したわけですね。
一言で感想を述べますと
重い
です。重い・・・
- 貧困
- 犯罪
- 虐待
- 薄氷を踏むかのような絆
社会の裏側をこれでもかとばかりに描写しているような・・・そんな内容です。細かでグロテスクな描写はないんですよ、お腹を減らしてあばら骨を浮きだたせたり、殴るけるで血しぶきが飛ぶようなシーンは皆無です。が、確実に貧困の只中に柴田家は埋没している。そこに加わったゆりにも、両親を選べぬ辛さと残酷な社会の包摂が待っている。へたに、バイオレンスなシーンがなく、温かな描写も織り交ぜているからこそ、余計に貧困が浮き彫りになっているような印象を受けました。
まず柴田家が滅茶苦茶。長の初枝は結局、治と信代という流れ者の訳あり夫婦を住まわせ、心に闇を抱えるお嬢様の亜紀をかくまい、治と信代が拾った祥太の面倒を見て、家に突然やってきたゆりの傷の手当てをして家族同然に扱ってしまう。それでいて表向きは年金と生活保護を受給する独居高齢者です。社会の枠組みから、完全にはみ出しちゃってる。バレていないだけ。
滅茶苦茶なんですけど、初枝は多分、お金のない篤志家なのかな、と。矛盾した表現ですけどね。社会のはぐれ者は、その人間に罪はなく社会が生み出した闇である。それを無下に見捨てて殺してしまうのではなくて、自分が隠れ蓑になってでも救いたかった。そういう面があったんじゃないですかねえ。亜紀も真相を知った際に「おばあちゃんは、お金目的で私をかくまったのかな」って言ってたけど、違うと思いますよ。寂しい思いをして、闇を抱えている亜紀の心をちゃーんと見ていた。それで、かくまったのではないかと。お金をもらいに行くことは、前の旦那の息子夫婦に対する報いを代行しているつもりだったのか、それとも一家を食わせていくために仕方なくやっていたのかは、定かではないけれど。
絆は、本物か?柴田家に芽生えた、薄氷を踏むようではあるけども、ほんわかして心温まる日々、あれは嘘なのか?結局、祥太を見捨てて夜逃げという選択をしたのも事実ですし。うーん、ここらへんは観た方に委ねられているのではないかと思われます。僕は、そうですね・・・祥太を見捨てた部分については、そうせざるを得なかったのかなって。治があまりにも学がなくて、行き当たりばったりの人生を送ってきたものだから、対処の仕方を知らなかったんじゃないかとも思うのですよね。初枝を埋めることにしてもそうです。あれも、知識の無さゆえでは。
で、絆はあったのかなかったのか、と問われるとあった、と判定します。治と信代の関係、初枝と亜紀の関係、祥太とゆりの関係、信代とあきの関係、初枝と信代の関係・・・すべては絆だったんですよ。血は全然繋がってないけどね。その時々で、刹那的にでも、心を通わせた。明日も知れない立場の中で、身を寄せ合って、生きた。とりあえず今日は同じ鍋をつついて、じゃれ合って、抱きしめ合って、ぬくもりを共有して生き抜いた。これは紛れもない事実でしょ。結果的には一家離散となりましたが、でも、約束された永遠の絆なんて結局は存在しないんですよ。誓ったって、別れるのは、離婚する夫婦の数を見れば言わずもがな。
信じたその結果、いつまでも続く絆は眩いばかりの綺麗さを持っています。それは理想として捨ててはいけない。でも、もしそれを体現したとして誰しもがそうなれると述べるのは生存した人が大量の死者を無視して理想を語る姿にほかならない。みんながみんな、切れない縁で結ばれているわけじゃないんです。絆なんて、元来刹那的なものなのかもしれない。
万引き行為について
万引き(まんびき)とは、商業施設において対価を支払わずに無断で商品を持ち去る行為である。刑法に“万引き”という表現はなく、罪名で言えば「窃盗罪」で、「刑法第235条」によって「10年以下の懲役もしくは、50万円以下の罰金」という刑罰が与えられる犯罪行為である。
1冊の書籍が窃盗の被害に遭った場合、取次から小売(書店)への卸価格が定価の77%から80%であるため、マイナス分を取り返すだけでも同一の書籍を6、7冊以上販売しなければならない。
映画を観ればわかりますが、決して万引き行為を肯定している作品ではありません。引用するまでもなかったかもしれませんが、重大な犯罪です。売る側としては脅威でしかなく、明日の生活をも揺るがしかねないこと。
殺すな、盗むなは社会の秩序を維持するための最低限のルールです。自分の命や財産が明日にはどうなるかわからない社会は、非常に不安定で危険と言わざるを得ないでしょう。
どうして万引きを引き合いに出したのか。それは、生活するに困るため商品を必要としている、にも関わらずその金銭を獲得するための手段がーー正当なものとしても、行政手続きを踏むにしてもーー行えない人たちが現実的にいる、ということを知らしめたかったのではないでしょうか。生まれや育ちの環境で教育をまともに受けられなかったケース。これだと、就ける職種も限られてきますし、申請主義の行政福祉はそこまでたどり着けずにそもそも知らずにアウトローな手段に出るしかなくなる。
ではどうすれば、このような人を減らしていくのか。それはやはり教育にもっと力を注ぐべきなのでしょう。子供のうちから、最低ラインでも行政サービスを受けられるくらいのリテラシーを育んでおく。個別具体的に教えるというよりは自ら調べ、自らコンタクトし、自らサービスを受給できるところを最低ラインに持っていく。これくらいはしないと均等な福祉は実現しないのではと。
終わりに
血のつながりが全てなのか?
ゆりは、虐待を受けた。血のつながりを受けた実の両親に。
亜紀は、実家で生活していたが頃に闇を抱えた。
祥太は、親に捨てられている。
どうでしょうか、血がつながっているからといって、万事幸福へと向かうかというと、そうではない。こういうアンチテーゼも物語に含有している気がします。
かといって、絆さえあれば、血のつながりがなくても上手くいくのか、というと貧困の前ではそれもまた無力であり。
なんというか、脱力感に襲われますね。最後のシーンで暗転した瞬間に、現実を叩きつけられた気分になります。
物語は、何を伝えたかったのか。それは
貧困の連鎖を断ち切れ
ってところじゃないですか。
治も信代も、好きで歩んだこのような人生じゃなかったと思います。
治は学があれば、万引きや窃盗に手を染めることもなかったでしょう。
信代も、元夫のDVがなければ、温かい家庭を築けていたかもしれない。
映画を観終わった人で「なんだこの一家は、考えられない」「信じられない」的な感想を持つ人は少なからずいるでしょう。それもぞのはず、自分の歩んできた人生では、このような生活や発想は想像すらつかないからです。今いる世界がスタンダードでこれはどこかおとぎ話のような感覚に襲われるのではないかと。でも、これ、現実なのよね。
映画は創作ですよ。でも、貧困は確実にある。目に見えないだけ。似たような話は、そこかしこに転がっているはず。生活の様子を知るには、人の家に入って生活をつぶさに見る職業、とりわけソーシャルワーカーや民生委員が挙げられる。ヘルパーや訪問看護師もそれに準じ。さらにそういう人たちが犯罪に手を染める現実は警察官や刑務官などが良く知るところでしょう。現実にあるんです。しかも、富める人の何倍も何十倍もそういう人がいる。テレビで豪華客船のクルーズ模様を見ているだけでは、決して理解できない世界。冗談じゃないんですよ。
今回の映画、初枝や治や信代を処断すれば、万事が解決するなんて考えている人、いませんか?そうじゃない。こういう世界があるからこそ、それを生み出す社会をどうにかしないといけないんです。罪を憎んで人を憎まず。
最後のほうで、祥太と治の別れのシーン。
祥太は、治を振り切った。心残りはあれども、先に進む覚悟を決めたのだと思います。いちどは自分を捨てた治。しかし、それは憎むべきものじゃなくて、自分はそうはなるまい、こんな社会を肯定するわけにはいかない、そんな気持ちを無意識に抱いていたのではないかと思いますね。まだ小さいので、ここまで深くは考えてないのかもしれませんが(笑)けど、大人になるまでに彼はきっと良く学び、絆のもろさ、そして暖かさを自分なりに反芻して、力強く生きていくのではないでしょうか。
この映画の特徴としては、過去の追想などが一切出てこないところです。訳ありやアダルトチルドレンのオンパレードですけれども、それを振り返るシーンは一切なし。ここに、社会の貧困を見つめて前に進んでいこうという意志を感じ取れたのは、僕だけじゃないはずです。
ゆりが、柵の向こうを眺めているシーンで終わる意味も。ここに虐待を受けている子供がいるけど、私は外の世界と繋がりを求めているんだよ、温かい絆を欲しているんだよ、だから見つけてほしいというメッセージが込められているように思えます。
とりとめのない感想になりましたが、以上です。
脱力感が凄い・・・そして考えさせられます。