こんばんは。
今日は旭川市内を散歩してきたよ。
神社に参拝したり、駅でホットコーヒーで一息ついたあとフードコートで小一時間寝ちゃったりという小さなイベントはあったけど
本題はマインドフルネスね。
散歩もそうなんです。歩く瞑想。歩行禅ともいうべきか。
マインドフルネス
「マインドフルネス」でGoogle検索すると有象無象のサイトが並ぶけど、ここではWikipediaのみから以下に引用します。
マインドフルネス(英: mindfulness)は、今現在において起こっている内面的な経験および外的な経験に注意を向ける心理的な過程である[1][2][3] 。瞑想およびその他の訓練を通じて開発することができる[2][4][5] 。
マインドフルネスの語義として、今この瞬間の自分の体験に注意を向けて、現実をあるがままに受け入れることである[6][7]とか、特別な形で、意図的に、評価や判断とは無縁に、注意を払うことである[8]といった説明がなされることもある。
マインドフルネス(mindfulness)という用語は、パーリ語のサティ(sati)の翻訳であり[9] 、サティはいくつかの仏教の伝統における重要な要素である。近年の西洋におけるマインドフルネスの流行は、概してジョン・カバット・ジンによって起こされてきたと考えられている[10][11]。
僕がマインドフルネスと出会ったのは2年前の冬のこと。オーディブルでテーラワーダ仏教のお話を聴きながら延々と市内を歩いていた時に聞いた。
最初は「どうなんだろ、これ?」と懐疑的だったけど、いざやってみると不思議に心が落ち着いた。「マインドフルネスは似非スピリチュアル・眉唾なものではない」
「マインドフルネス」という言葉を聞いた2年前は、見様見真似でやってみて、なんとなーく心が軽くなってたから意識的にも(おそらくは)無意識的にも続けていた。そんで2年が経過したというわけ。
今ではもうマインドフルネスを手放せません!
とか言っちゃうと出所のよくわからない桜の商品レビューになっちゃうので、自分なりにマインドフルネスがどのように人生に活きているか、またその方法などをざっくばらんにお伝えしたい。
皆にもやってほしい。特に、ネガティブな感情に悩まされがちな人には。
僕のマインドフルネスは「呼吸」と「歩行」
呼吸
- 息を吸う、息を吐く。
- これをする時に「息を吸っている、息を吐いている」と心の中で追う。
- 自分の呼吸に集中する。
たったこれだけ!
いつでもどこでもできるよ。
仕事中でも運動中でも読書中でもいつでも。
これが呼吸のマインドフルネス。
歩行
- 右足、左足と前に出して地面に接地したら、「右、左」と頭の中で追う。
- 歩行に集中する。
たったこれだけでOK!
移動時でも運動時でもできる。
雑念や妄想への対処
「呼吸」と「歩行」のマインドフルネスをやっていて、頭の中に色々な雑念が浮かぶと思う。過去の思い出、未来への予測、妄想の類など。
これらには「ラベリング」をします。雑念!と切って捨てるもよし、霧散させるイメージを持つもよし。こうして、頭に浮かんだ雑念や妄想に囚われないようにします。僕の場合は霧散させます。細かな粒子になって頭の中から蒸発する感じ。
マインドフルネスの効果
自分に戻ってくる
自分が自分であることを忘れない、というか。
「今ここ」だけを見つめることによって、過去の呪縛や未来の不安などは妄想であることに素早く気づき、別世界に連行されないようになります。連行されても、マインドフルネスを継続することで、どんどん早く自分に自分を戻すことができるようになります。
怒りや哀しみからのリカバリーが早まる
人間なんで怒りや哀しみは日常的に感じます。
けど、これに囚われる時間がどんどん短くなっていく。
今では怒っても数秒で自分に戻せるようになりました。
いつまでもカッカカッカと頭に血を登らせることはありません。サーっと引いていきます。血の気が引くような感じで、怒りも引いていくのです。
哀しみもそうですね。驚きもそう。一瞬あ面食らいますけど、すぐに自分に戻ってきて「ああ、そうか」となる。
集中力が上がる
仕事ではてきめんですね。
ケアレスミスが減ります。
ここぞ、という場面でその一点に集中し、良い結果を出すことができるようになります。
他の余計なことが浮かんでも、マインドフルネスで消してやればいい。「これは妄想なんだな」と。
これにより、長時間の集中も可能になり、数時間にわたり集中力を擁するような作業もこなせるようになります。
人間の脳ってすげえな。
あと、読書時も有用です。
どうも、内容が頭に入ってこない。そんな時は呼吸のマインドフルネスですよ。
吸って、吐いて。吸って、吐いて。
2回もやればOKです。それで本に戻ってみてください。おそらく、さっきよりもずっと本の内容が頭に入ってくるようになっていると思います。
これはブログなどを書く時にも有効です。今現在、キーボードを叩いていまして、調子は上々です。文字にすると2,000文字といったところでしょうか。しかし、おそらくこれが3,000~4,000になるとどこかで集中力が切れるタイミングがあるはずです。きっと、その際は呼吸のマインドフルネスをすることでしょう。そうすれば、またアクティブなタイピングが戻るはず。
「今、ここを生きる」に思うこと
マインドフルネスって、早い話が「今ここにあるものを見つめて、今を生きる」ってことなんですよね。ただただ、それに尽きるかと。
過去に色んなことがあったんじゃないですか。「どうしてあんなこと、したんだろ?」なんて、自己嫌悪に陥って。それで他人または自分を責めてしまう。怒りに変わってしまうんですね。
未来に不安が待っているんじゃないですか。「どうしよう、上手くいくだろうか?」なんて、心がブルブルと振るえているんじゃないですか。
それは紛れもない、妄想なんですよ。
過去は終わったことで、極端な話なかったことに近いし、未来にあることなんてわからないじゃないですか、1秒先だって何が待っているかわからないんですよ。
そんな時に我々が過去からの責め苦や未来への不安を払しょくして幸せに生きる方策と言えば単純なんですよね、
「今ここを生きれば」いい。
かの心理学者アドラー曰く「今ここを生きぬは人生最大の嘘である」とのこと。彼なりに煮詰めた結果、出てきた一つの非常にシンプルな答えですが、大変明瞭でわかりやすく、彷徨える現代人の光明となり得る箴言です。
卑近な例を、僕の経験談から挙げます。
大切な人がいて、その人に会いたい。心の中は求める気持ちで満たされ、安定しません。そんな時、考えます。自分のこの気持ちに嘘はない、けど、今ここを生きる上でこの感情は必要なんだろうか?
考え、考え、そして呼吸に集中します。ただ、呼吸にだけ集中する。雑念妄想は雲散霧消させ、心を落ち着かせます。そこで、一筋の光明が心にスーっと入ってくる。「ここでウジウジしている場合じゃない。次に再会する時に、晴れやかな気持ちで喜びを表現できるよう、今ここを頑張らなければ!」こういう心境に至ったのですね。
複雑な感情を伴う、スペクタクルな淡さを持つ恋心に苛まれた男の乱れた精神も、自分に戻ってくることで今を見つめることができるようになる。
うんうん、こんなこともありました( *´艸`)
恋だけじゃないです、受験や就職、結婚や離婚にしてもそうです。人生の至る所で、心揺さぶられる場面が訪れます。そんな時に、グラグラと揺れ動く土台の上で果たしてそれらと対峙できるかどうか。大変はかなげで、危ういですよね。きっと、おそれをなして回避してしまうかもしれません。そしてまた問題と鉢合わせし、堂々巡り。自分ではわかっている、このままでは変われない。だけど、どうしても向き合えない、打ち克つ勇気が出ない。
こういう人は、どうか今日からできるマインドフルネスで「自分」というものを取り戻してほしいのですよね。何はともあれ、「僕は、私はどうしたいか」という主体性を取り戻すこと。日々、「今ここ」に意識を集中していれば、必ず現実が見えてきます。うっすらと、でも確実に。そうして目の前のことに長時間集中することで、凪のような穏やかな心で人生を過ごすことが可能になるはずです。
現実にお会いできれば、僕にサポートできることは少なくありません。しかし、インターネット越しで苦しんでいるあなたには、このようにマインドフルネスの方法や効果、体験談を伝えることであなたの生活にこれを取り入れ、幸せへ向かうことのお手伝いをすることくらいしかできないんですね。
だもんですから、騙されたと思って、いちど試してみてほしい。
「今ここ」を見つめる、普段からできる心の調律、マインドフルネスを。