ネタバレ感想です。
あらすじ
とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。
ある日、甘えん坊の“くんちゃん”に、生まれたばかりの妹がやってきます。
両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うばかり。
そんな時、“くんちゃん”はその庭で自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ、
不思議な少女“ミライちゃん”と出会います。“ミライちゃん”に導かれ、時をこえた家族の物語へと旅立つ“くんちゃん”。
それは、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりでした。待ち受ける見たこともない世界。
むかし王子だったと名乗る謎の男。
幼い頃の母との不思議な体験。
父の面影を宿す青年との出会い。そして、初めて知る「家族の愛」の形。
さまざまな冒険を経て、ささやかな成長を遂げていく“くんちゃん”。
果たして、“くんちゃん”が最後にたどり着いた場所とは?
“ミライちゃん”がやってきた本当の理由とは―それは過去から未来へつながる、家族と命の物語。
さっくり感想
どんな映画か全く予備知識なしで観てきました。結果的には心が温まる感動のストーリーで大満足という感じです。
予告編ではミライちゃんという子がどうも未来から来た妹っぽくて、その妹と一緒に因果律で約束された悲劇を回避するのかな?とか、トラブルに対処するために共闘して最後は涙の別れパターンになるんじゃないか!
とか勝手な予想を立てて映画を観ていたのですけど、いやいやそんなことはありません。そういう不安やドロっとした、あるいは義憤を呼び起こすようなバトルなどは皆無。
この映画の肝は「いのちのリレー」ではないでしょうかね。曾祖父から代々続く、その時には些細なエピソードだったかもしれないけれど子孫まで連綿と続いて生命のバトンを渡していく美しさ。
それが美麗なアニメーションとともに、時代を超越しながら時にはノスタルジーな気持ちに浸りつつ流れていく様を眺め、最後にはほっこりした気分にさせてくれる、みたいなね。
簡単な感想です。
SF部分のネタバレ
擬人化した飼い犬
犬も、くんちゃんが産まれる前は家で王子さまだった。だから、くんちゃんの気持ちは痛いほどわかる。というわけで未来ちゃんの嫉妬に狂うくんちゃんを擬人化して慰めてあげたのでした。
おじさん犬だから、擬人化したあともおっさん。話すことも人生に擦れた少し斜めの感性が影響してる。けど、基本的には良い奴。
- くんちゃんの不機嫌を治す
- ひな人形を片づける
場面で活躍
未来のミライちゃん
未来から来た妹。くんちゃんのピンチ?を随所で救う。
結局、どうして未来のミライちゃんは未来からくんちゃんに会いに来たのだろうか。そこらへんは、はっきりとは答えが出てないんですよね。
映画を観終わった際のあなたの感情の中に、答えがあるのかもしれません。僕の場合は、妹が家にきて悲しい想いをしているくんちゃんに、今ここを頑張る大切さや過去に先祖が連ねてきた命のリレーの尊さを知ってもらうことで、少しでも強く優しく生きてほしいと願ったから、未来からやってきたんちゃう?って思いました。
ただ、ほっといても同じ未来が約束されているならわざわざ未来からやってきて、くんちゃんを励ましたり助けたりしなくても上手くいくのでは?とか考えちゃうと、やっぱり、未来のミライちゃんが来なければ未来の形はねじ曲がってしまうため、その宿命(ミッション)を背負って未来からやってきたんじゃないか説も自分のなかではあるのよね。けど、もしこれが本当だとしたら、ほっこり路線よりもシリアス路線になっちゃって場合によってはバッドエンド分岐も仮定できちゃうから、ちがうのかなーとか。
- 何度もくんちゃんに会いにくる
- ひな人形を片付ける
- 近未来地下鉄からくんちゃんを救出する
- くんちゃんを現代に返す際に親や祖先の過去をくんちゃんに見せる
などなど。本作の最重要パーソン。
過去のお母さん
くんちゃんと年頃一緒の過去のお母さんにも出会う。破天荒で部屋を滅茶苦茶にする暴れん坊のお母さんを見て、くんちゃんは何を思ったのか。その荒ぶる気性の中に寂しさのようなものも垣間見たのか、現実世界に戻ったくんちゃんは寝ているお母さんの頭をナデナデするのであった。
意味合いは、うーんそうだな、お母さんにも過去があるんだよ、子供の頃があるんだよ、ってところをくんちゃんに見せたかったんじゃないかな。誰が見せたかというのはちょいと謎で、うん、謎の力が働いたとしか思えない。ミライちゃんが仕向けたわけでもなさそう。
過去のお母さんは一回きりで終了。
曾祖父
戦争で負傷しつつも生還し、バイクの整備で生計を立てる曾祖父の時代にまで迷い込むくんちゃん。そこで曾祖父に馬、バイクに乗せてもらい、恐怖を乗り越えて正面を見据えて疾走する大切さを学ぶ。現代に帰ってきたくんちゃんは、その体験をもとに、自転車の補助輪なし運転に成功するのであった・・・。
ここ、地味に感動した場面(笑)なんせ曾祖父が滅茶苦茶カッコいい。言葉少なだけど、大切な事しか言わない。男気がある。こんな男に僕もなりたいなぁと思わせてくれる渋みがあるし、くんちゃんも「カッコいい」って言ってた。おう、それな!
現代に帰ったくんちゃんは、アルバムで曾祖父を指さして「お父さん」と述べるが、両親に「それは曾祖父だよ」と指摘されて「そっかぁ・・・」とこの時に理解するのであった。このシーンを見る限り、くんちゃんのSF体験は記憶にくっきり残るっぽい。
未来のくんちゃん
停車場で出会った説教臭い青年は、なんと未来の自分、くんちゃんだった。未来の自分にまで会ってしまうのだから、なんというかタイムリープに付き物のパラドックス的なものが滅茶苦茶になってんだろうなと想像。
劇中では、未来の自分はそこまでの大役は果たさない。過去のくんちゃんに対してちょっとお説教くさく諭すのみ。
だが、ここまでくんちゃんのハチャメチャな姿を眺めてて、いざ成長したくんちゃんを見ると、それはそれで感慨深いものがある。「いやはや、子供ってのはここまで大きくなるんだなぁ」と。
結末
くんちゃんは、究極に機嫌を損ねていじけてしまった際、近未来の東京駅にタイムリープしてしまうんですね。そこでは未来のミライちゃんや未来のくんちゃんが現役で活動する時代。
駅で迷子になって駅員に「迷子だ」と告げると、そもそも自分を失っていると告げられ、恐怖列車に乗せられそうになるんです。そこを、ミライちゃんが救いに来る。くんちゃんが、未来ちゃんを「僕の妹だ!」と認めたから、物語は大きく解決に向けて動き出すのですわ。
で、最後は未来のくんちゃん、そして未来のミライちゃんと別れを告げるのだけど、「お別れなの?」のくんちゃん問いにミライちゃん「何言ってんの、これから嫌ってほど過ごすじゃない」と。そりゃそうだ。って感じで悲壮感なくハッピーエンド的に物語は幕を閉じるのでありまーす。
ちょっとリアルな話
父親はくんちゃん育児にはほとんど関わらなかった、というエピソードがあります。そして、未来ちゃんの時には一生懸命。フリーの仕事に就いて半ば専業主夫のようになりながら、四苦八苦しながらも育児に徐々に慣れていく様が描かれています。
この一人目に育児に参加しなかった父親について母親が恨みの感情を潜ませていて、それがどこかで爆発したり日常の些細な部分で辛く当たり始めるなど信頼関係が崩壊してしまえば、夫婦仲は上手くいかなくなってしまったのだと思います。
子がかすがいとなる、もともと夫婦が仲が良い、父親が遅まきながら育児を頑張りはじめた、母親は短気だけど寛容、などなど。色々な要素がまじりあって未来のミライちゃんやくんちゃんは家庭崩壊しないで健在だったわけですけれども、これがもし一歩間違えば、一枚の紙きれくらいの角度でズレが生じたらそれが綻びとなり一家解散というルートもあったのでは、と。
すいません少し興ざめなことを申してしまいました。
映画では命の大切さ、先祖に馳せる想い、家族愛など、なんともイノセントな描写が続きますが、この裏側には描き切れないほどの沢山のドロリが隠れていて、それぞれが上手く付き合って消化していってんだろうなぁと。映画はあくまでも綺麗な部分のみ。これはひと夏の大冒険、感動の物語、タイムリープアニメーションで心を浄化しようというのがコンセプトですから、違和感はないですよね。
ですが、この映画の設定上はリアルな話をしますと、一寸先は闇っていうくらいの日常に潜むリスクが過分に含まれていたような気がしてならないんです。それだけ、夫婦の絆というのは脆くもなる。もちろん、強固にも。もし、強固にしたいのなら、コミュニケーションを取ること、相手の気持ちを理解する努力をすること、自分の意見中心で押し付けないこと、相手や子供の将来を主体にして考える事などが求められます。手放しに幸せな家庭なんて存在しえない。
はいはい、暗い話はここまでねー。
あくまでも大冒険SFほっこり物語だからねー。
終わりに
親殺しのパラドクスという話がありまして、過去にタイムリープして自分を産む前の親を殺すと自分が産まれないことになり矛盾を生じてしまうという。有名ですね。こういうのを考え出すとこの映画は楽しめません。過去や未来にビュンビュン飛ぶし犬は擬人化するしで、要するにSFなんです。実際の物理事象などと比較して考えるのはナンセンスです。映画観覧に臨む際は手放しで。心フルオープンで。くんちゃんのダダにイラっとくることもあって。それでも神秘体験から学んでちょっとずつ成長していくくんちゃんを眺めて。最後には妙に心があったかくなって家に帰れるような。そんな映画に仕上がってますのでみんな映画館にGOですよ。そんな小難しい頭を捻るような混乱するような展開はありません。だから小学生のお子様でも十分に楽しめるし大人が観てももちろんです。
ってなわけで、バイバイ!