同僚にこんな人がいます。
こちらから何かを伝えた時に、9割5分は頭に「いや」や「でも」などを付けて返してくる人。
慣れるまでは大変でした。
嫌われ、孤立する
基本的に、その人には話しかけません。周りもそうやって接しているらしいです。何を投げかけても「いや、でも」を浴びるから、良い気持ちはしないのでしょう。世間話なんてする気は起きないですね。下手すりゃ、今日の天気について何気なく振っても「いや」がついてきた時には、「この人とは仕事以外の話はあきらめよう」そう思わされました。
面白かったのは、イヤデモをマスターしすぎて自分語りの途中でも自分の言葉に対して「いや」とか「でも」が入ってきたことですね。どんだけその言葉が好きなのでしょう、と。自分の言葉を否定しているあたりは地に足を付けて自分の言っている言葉を理解しながら話してないのかもしれません。
慣れるまではフラストレーションが酷かったです。「この人はなぜ、毎回人の話を否定してかかるのだう?」なんてイライラしてた時期もありましたが、ある時「あぁ、この人はこういう人なんだな」って受容してからは、そういうものだと割り切って接することができるようになりました。
それからというもの、観察が面白いです。誰かと話している時も、それを傍で聞いてて「お、今回は『いや』が2回、『でも』が1回飛び出したぞー」なんてほくそ笑んだり。また、自分が相手と会話するとき、いかに「いやでも」を封じるかを試して楽しんだりしてました。どう頑張っても否定できないような設問(主に相手を肯定するもの)を投げかけて、「いやでも」が出なかったときの達成感はひとしお。「よっしゃ!」なんて心の中でひそかに思ったり。まぁ面白いおじさんです。
あとは反面教師になりますね。それも優秀な反面教師です。「自分はこうはなるまい」そう思わせてくれる接し方を持っています。考えてみればわかる話ですが、自分が投げかけた問いに対し否定で入られると、そもそも相手の話を聞くつもりはない、というスタンスを明確にしているということに他ならないのです。それを聞いて自分の考えとすり合わせ、その上で相手に返事をしようという気持ちが希薄なのですね。
これは正直、恥ずかしいです。誰かの意見を聞いたとき、瞬時に内容やその背景にある目的を理解できる人なんていないのだし、良く落とし込んで思考してから返さないとそぞろな返事になるでしょう。脊髄反射の思い付き、今の気分次第で非理論的な返事をしていることを如実に表しているのが「いやでも」レスポンスなのです。これでは伸びしろは皆無に等しい。誰かの言説を取り入れ、かみ砕いて自分のものにすることはできない。こういう人は恐らく、読書もしないのでしょう。筆者の考えを自分の中に落とし込める人は、人の話を否定ありきで聞くなんてことはしないはずだから。
魚心あれば水心、なんていって自分の話を良く聞いてくれる人には人間というのは味方をするものです。いざという時、助けてくれる確率も上がります。普段から人の話を遮ったり否定する人は、ピンチになった時に孤立するのです、それを自分が引き起こしているということも知らずに。
これらのことを鑑みると、傾聴するというのは本当に大事なことなのだと思います。
否定から入る心理
相手の話を 否定してから話す人は、 自分の意見に固執する 視野の狭い人
相手の気持ちを 理解できず、平気で 他者の気分を害しますから、 自己本位、自己中心的な人 とも言える
自分の意見だけが正しく、 相手の意見は全て 間違っていると常に考えている
- 自己意見に固執
- 自己中心的
- 相手の意見は全て間違っている
ここが癌。つまり誰がなんと言おうと、本人自身で強烈な失敗でもしない限りは変わることができないのです。誰がなんと忠言しようと、それを否定してしまう。僕はこういった人たちのことを「幸せ者」または「絶対者」と呼んでいます。悩む必要がない、宇宙の中心に自分が要るから不幸を感じることができない、つまり無敵状態です。
このような人を変えようとする努力はすべからく水泡に帰すので、そこに心血を注ぐ必要はありません。本人には変わる度量がないので、変わらぬことに腐心するのは損しかしないのですね。なので早急に諦めるが吉です。
「いや」など軽い否定から入るのが癖になってしまっている人は相手との距離感がうまくつかめない・あまり相手に踏み込んできてほしくない人が多い
相手を言い負かすような勢いで否定する人であれば、相手よりも優位に立ちたい気持ち・相手に負けたくないという気持ちが強い
すぐ他人を否定する人と仕事をするときに、有効な言い方とは | マイナビニュース
こちらは、メンタルクリニックの精神科医に話を聞いたもの。否定から入る人には大きく分けて2種類いる、と。同僚のことを考えると、前者が8割、後者が2割といったところです。
確かに、コミュニケーションはあまり得意じゃなさそう。ボディタッチが必要なコミュニケーションの時も恐ろしいまでに力が入ってたり、「あー、この人は人と接するのが得意じゃないんだな」って素で感じるような挙動でした。きっと、穏やかにスマートに振る舞うことができない人なんだなって。
今まで色々な人とトラブルを起こして、それでも変われない自分とのジレンマがあるのかもしれません。個性というか、その人の変わらぬ資質というものが中心にあって、それを守るために無意識に意固地になってガードしてしまうのかも。「下手に相手を肯定すると、いつ自分に立ち入られるかわからない」という恐怖心もあるのだと思います。要するにキャパシティが少ないのです。
ここは解ってあげるべきなのかもしれない。そういう人に対して「否定ばかりするんじゃない!守りに入ってんじゃないよ!」と痛烈な批判を浴びせるべきではないですね。それよりも「受容する」ほうがこちらにも相手にも良いのです。事実、僕とその人はコミュニケーションが上手くいっています。何故ならば、僕はなんでも否定するスタンスを傍観しており、それがフラストレーションになってその人との接し方を曇らせることがないからです。だから相手も安心して僕と接することができるのだと思うのですよね。「こいつは俺を脅かさない、否定しない人間だ」と認識してくれているのかも。
ともあれ、「いやでも」で否定から入る人は、多くの人と円滑にコミュニケーションが取れるような重宝される人材には成り得ず、大抵は嫌厭されます。もし、自分が無意識のうちに「いやでも」と言ってしまっているのなら、自省する必要があるでしょう。どこか自分を守るために意固地になっていないか、知らぬ間に周りを嫌な気持ちにさせていないかどうか。良く考えてみてはいかがでしょゆか。修正するのなら、たとえノロマのレッテルを貼られても相手の言ったことへのレスポンスはしっかりと思考を踏んだうえで行うと良いんじゃないかなーと。
追記
この記事を書いてから半年以上の月日が流れて改めて自分の書いた文章を俯瞰してみましたが、稚拙な面が多々見受けられますね(笑)
確かに否定から入る人は嫌煙される、これは事実なのですけどそれをジャッジメントする必要はなく、自分に不必要だと思えば遠ざければいいし一緒にいる必要があれば受容して相手との信頼関係を築けばいいのです。
何に対しても否定から入る人が人間として価値が揺らぐかというとそんなことはないです。単に認知のありかたとしてそのようなものを持っているにすぎず、こちらが悩むべき問題ではないです。
もし、相手が変わりたいという気持ちがあれば自分で変化していくのであろうし、そうでなければ今のまま生きていくのでしょうから相手の課題として切り離せばとるにたらない些事であることに気づかされるはず。
・・・なーんて偉そうなことを言いましたけど、一緒の職場でこのような同僚がいると心悩ませる人、多いんですよね(笑)気持ちはわかりますよ、僕だって一瞬はイラっとしますから。ですが、こんなことは自分の課題ではなくコントロール不能だと悟れば気が楽になるはずですから是非ともみなさん、この思考法を身につけてください。関連記事、置いときます!