かつてブログを毎日7記事、6か月間の更新をしていた頃、僕は間違いなくネットの承認欲求ジャンキーでした。
更新する記事へのレスポンス、アクセス数に一喜一憂し過ごした日々は時間を忘れるほどにエキサイティングだったものです。
今は数日に1記事の更新ペースでのんびりやってますけど、これはどのような心境の変化ゆえか。
今回は承認欲求についてです。
ネットの承認に溺れた頃の環境
仕事で失敗して酷く落ち込んでいた時期と、ちょうど重なっています。このブログを立ち上げたきっかけにもなりました。
現実では承認を得られる機会がほとんどなく、ネットがなければ社会的に孤立している感覚がどんどん深まっていたことでしょう。
しかし、ブログを始めてどのような形にせよ承認されることで安心感を得て、そこに邁進していった。半ば目隠しをしながら、はたから見れば盲目だったと思います。
更新頻度の下落要因は?
現実が良い意味で上手く回り始めたことですね。99%が人間関係ですけれども。=仕事が面白くなった、とも言えます。
当方サラリーマンなので、人間関係が上手くいくかどうかというのが承認欲求を満たすうえでは非常に大きな要素になっていまして。
責任のある(裁量権のある)仕事を任される、頼りにされる、一目置かれる。こういったことが仕事で実現できていくにつれ、心が満たされて相対的にネットで承認を求めることが少なくなったのです。
それは今現在も継続中。
現実でストレスに晒されているとネットでの承認欲求が強まる?
ネットで強い承認欲求を求める人は、現実世界で何らかのストレスに晒されている場合が多いように感じる🤔
— 羆 (@poji_higuma) 2018年4月17日
自分のケースに当てはめると、この仮説はマッチします。現実世界ではうだつが上がらない、孤立感が深い。そうなると、どこかで承認欲求を満たさなければ不安になってしまう。だから、ネットの世界にそれを求めた、ということです。
弊害はありましたね、例えば承認を求めたいがゆえに過激な言説になったりタブーに抵触したり。構ってほしいが故にイタズラを繰り返す子供みたいなものですね。
今日も図書館でスチール書棚を叩いて大きな音を出し、母親に叱られていた幼児を見ましたけれども、母親の注意を引きたいがゆえにそのような「わざと怒られることをする」ネットでの演者には似たものを感じます(自分も含めて)。
ネットで承認を求めることは悪なのか?
先述のように注目を集めるまたは金銭を得るために誤情報を流したり炎上を意図的に引き起こすのは悪(害)と言われても仕方ないでしょう。何が悪いのか、という議論は境界線が曖昧なのでここでは触れません。社会通念上「悪」とお茶を濁させていただきます。
でもですよ、ネットで承認を求めること、これは一概に悪とは思えない。何故なら現実でどうにもならなくなった人の駆け込み寺にもなり得るからです。
もし、現実で極限的困窮に陥ってしまったら、ネット環境さえあればそれを発信することができる。そこに同じ境遇を持つ者や識者の具体的なアドバイス等があれば、その困窮者の救いの糸口になり得る。少なくとも、完璧な孤立にはならない。
なかには心無い誹謗があるかもしれませんが、それを含めてのネットです。完璧な孤立を、ネットとデバイスさえあれば回避できるというメリットを享受できるならば、結果的にはプラスに働くものととらえています。
ネットと現実のバランス
これは絶妙です。現実で上手くいかなくなったら、ネットでエネルギッシュに。現実で上手くいったら、ネットは落ち着く。総エネルギーは100%です。150%や50%にはならない。
でも、現実でしか生きる場所がなければ、総エネルギーが50%になってしまうかもしれません。逆もまた然り、ネット世界しか知らなければ、同じことが起きうる。
と、考えれば現実とネットのどちらでも活動の場を設けておくことは総エネルギーの割合を100%に保つためのバッファーの役割を果たすことになる、ような気がします。
どっちも、知っておいた方が良い。現実で上手くいかなければ、ネットで生きる道を探ればいい。ネットが上手くいなかいのであれば、現実で何かしらの努力をして生きていけばいい。どちらもほどほどにお付き合いすることで、バランスをとって生きていくのもまた良し、と。
なんだかんだで中庸、を落としどころにしちゃいましたね。でも、現代人にはこれがとても良くフィットすると思いますよ。少なくとも自分の場合は、とっても生きやすくなってる。どっちもないと困ります。ネットも、現実も。もし、現実で何らかの苦難に陥った際はネットで発信して活路を見出そうと考えてます。ネットで疲弊するのであれば、現実で仕事に打ち込むあるいは他の趣味に打ち込んでみるなりして距離を置く。
良いとこどりの生活。上手に生きよう。そのためには、色々なことを知っておくのが強みになるのではないかな。仕事の仕方を知らなければ現実では生きていけないし、ネットの活用法を知らなければ、ネットで活路を見出すことができないですのでね。
今日のところはこれまで!