どうも。
最近、思うことがあります。
とある日常で何か特別なことがないと損をした気分になってしまう。
これは不健全だよなぁ、と。
漠然とした気持ちですが、文章にしていきます。
日常
日常です。
朝起きて、顔を洗って、朝食をとって。
ニュースを見つつ、出勤時間を意識して家を出る。
会社でルーチンをこなしつつも、人に気を遣いながら自分にできることを精一杯やる。
帰宅したら簡単な晩御飯をこしらえて、一献やりながら明日に備える。
日常ですよ。
日常に非日常を求めること
これはナンセンスです。
でも、求めちゃう。
たとえば、コンビニに行って素敵な出会いがあるのではないか?など年甲斐もなくワンチャンを求めてしまうだとか。
そういう射幸性のあることだけでなく、「今日はこれをやったら素敵になる」みたいな幻想。あえて幻想とします。これを抱いてしまうと、途端に日常が色あせたものになってしまいます。
求めることは否定できません、それが人情です。不謹慎ですが台風が近づくとワクワクしてしまう人が一定数いるように、人は何かしらのアクシデントを日常に求めてしまうんですね。災害なんて、悲劇しか生まないので、求めてはいけないのですが。それでも求めてしまうことに業の深さを感じざるを得ません。
日常を普通に過ごす勇気
日常が日常として成立した、ということは、実はとても非日常的ではないかと思い始めたんです。
贅沢過ぎるんですよ。普通に起きれて、食べれて、仕事できて、刃傷沙汰になるような修羅場をくぐらずに、事件に巻き込まれずにその日を追えることができるなんて、本当に贅沢なんです。
これを、わかってない。平和ボケってやつですか。日常がいかに有難いかを忘れているからこそ、こういう発想になるんです。
いいじゃないですか、日常。過ごせたなら、万々歳じゃないですか。なのに、どうも、「今日は平和過ぎてハリがない」なんて考えちゃうんです。これ、凄く不遜なことですよ。感謝の気持ちが足りてないのだと思います。
感謝の心
感謝の心です。
今日も一日、無事に日常を過ごせた、ありがとう。
これが目指すべきメンタリティじゃないですか。我ら一小市民は、日常を当たり前のように過ごせることこそ、何よりも有難いことだと考えるべきじゃないですか。
そういう風に自分を言い聞かせることにしたんです。最近ね。
人生におけるイベントごとなんていうのは、時間経過とともに一定数訪れるものなんです。それは、己ではコントロール不能な代物なんですよ。日常で、それを求めてはいけない。予期せぬタイミングで、それは訪れるものなんです。良くも悪くも、ですよ。
だから、我々にできる数少ない日頃の心がけとしては、この日常を普通に過ごすこと。そして、それを有難い、感謝すべきことと捉えること。このメンタルじゃないですか。
創作物に日常が少ないということ
アニメとか映画とか。
日常を描く作品というのは、少なく感じます。
中には日常系のほのぼのとした作品もありますけれどもね。
たいてい、事件があるじゃないですか、創作物には。心躍るようなものから、絶望に打ちひしがれるものまで。
こういったものを自分の人生における日常へ投影してしまうと、途端に物足りなくなってしまうのかもしれません。
が、ここはいちど改めて考えて。あれは非現実的な創作物であり、ストーリーを盛り上げるための台本でしかないんだ、と。認識してみましょう。
僕らが日頃体験しているのは、紛れもない、一人の人間の日常です。そこには、胸をときめかせるようなイベントがふんだんに盛り込まれているーなんてことは、滅多に無いんです。
で、忘れた頃に、忘れられないイベントに出くわしてしまう。でも、それは構えていても迎撃できるようなタイミングでは訪れない。結局、運命の神様だけが全てを知っているんです。台本を覗き見ることが、僕らにはできないんです。
だったら、もっとどっしりと構えて、日常は日常で当たり前に過ごすことを是とするメンタルというか勇気というか、そういうものを携えつつ、いつかくるであろう人生のイベント事には誠心誠意全力で向き合って、その時にできる判断や行動で対処していく。そして学ぼう。これくらいの心構えで良いんじゃないかと思うんです。
あとがき
朝起きて
生きている
それだけで感謝すべきことじゃろがい!
みたいな持論というか理想論はあるのですけれども、それでも日常を繰り返す中で「このままでいいのだろうか」とか「もっとやればよかったことはあったんじゃない?」みたいな焦燥感に駆られる日も少なからずあって、その中でも「いや、日常を当たり前に過ごすことへの感謝が足りてないよね」っていう確信に似た気持ちがあったから、このように記事にしました。
「振り返れば、すんごい進んでた」人生なんて、そんなものなのかもしれません。今、あがいてもどうしようもないことへの焦燥感。それが心の中に燻ぶってて、余計に焦りを感じているのかもしれないなと。そうも思ってるんですよね。すいません、いまいち心にまとまりがない感じで、うまく文章化できないのですけれども。
今回、この記事を読むことで、僕と同じように日常を重ねることに焦りを感じている人が、「そっか、日常は日常で普通に過ごすことは有難いことで、過ごしきれたのならそれは万々歳なんだな。運命というのは予期せぬタイミングでやってきて、そこで自分がどう行動するかで、価値が生まれてくるものなのかも」って考えてくれる人が一人でもいるのなら・・・この記事を書いた甲斐があったというものかもしれません。