羆の人生記

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飲み会でいじりの標的を作り集団で攻撃すること

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どもども。

こないだ飲み会行ってきたよ。

職場の飲み会ね。

そこで気が付いたことを少々語ります。

飲み会

同じ時期に会社に入った「同期」ってやつですね。これと飲みを。

毎年1回はやるんですよ。やりたい人がいるもんですから。

そんで僕のところにも声がかかる。

会社に入った頃は先輩が異口同音に「同期は大切にせえよ」って言ってたの思い出す。確かにそうですよね。先輩でも後輩でも上司でも部下でもない横の繋がりって、この社会(会社)では貴重ですわ。

ただ、ねぇ。同期だからってフラットな付き合いができるかといえばそんなことはないわけで。

いじりの標的が必ずできる

ってか僕なんですけどね。

昔っからいじられキャラではあるんですよ。

この頃は仕事も安定してきて職場ではあまりいじられなくなってきたので、油断してました。「あらら、いまだにこういう役回りに立たされることがあるんだ」みたいな感じで。

過去の遍歴(失敗や恋愛などなど)を少しひねった形で飛ばしてきては、それを肴に笑う。

今回の飲み会では、僕は一回も怒らなかった。今まではついに我慢の限界という形で憤怒の感情を顔や声に出していたけど、あれだ、大人になったというか、こういう集団の人間心理みたいのを俯瞰しているうちに怒ることも馬鹿らしくなったのかもわからんね。

周りは「いつ怒る?いつ怒る?」とワクワクドキドキしながら待機してたみたいですが、最後まで平静な僕を見てなにか肩透かしを食らったような顔をしていましたね。うむ、期待に応えられなくて残念だ。

集団で攻撃するということ

人間(日本人?)というのは面白いもので、集団の場を形成すると空気が求める振る舞いを無意識にしてしまうんですよね。今回では「ポジ熊いじり」だったわけです。そこは事前に「あいつをやっちまおう」という打ち合わせが為されたわけじゃなくて、自然に発生した磁場みたいなもんで。そこに引っ張られる形でいじりを行っていた。

それを解ってて利用する人は狡猾だし、知らないで乗っている人は分析力が足りないのだろうと思います。「知らない」の人はおいといて、「解ってる」人がとるべき行動は僕の理想的にはいじるにしても相手の心を傷つけないように加減をするまたは場のコントロールをするということですね。

でも、これができる人なんてほんと少数なんだよな。少なくとも、この前の飲み会にはいなかった。みんな、波に乗ったは良いけどその勢いが強すぎてコントロール不能となり、いつのまにか釘バットを片手に暴れていた感じ。

だから、僕はターゲットになりやすい立場として、同じような人の味方になれるような振る舞いをしたいなと思った。どこかの飲み会に行っていじりの対象が自分ではなく他の誰かになった時にね。そのターゲットが本気で嫌がっているのなら、さりげない形でも助け舟を出してやりたい。ある程度達観するまでは、いじられるのってほんと苦痛でしかないからな。

2人になるとしおらしくなるのが毎回面白い

集団が解散して帰る方向が一緒になったりタクシーに乗り合わせした時に2人になるでしょ。そしたら「あれ、さっきの勢いはどこにいったのよ?」というくらい別人になる。こっちが話を切り出してもまるで蛇ににらまれた蛙。どした、2人になると本心を話せなくなるのか?ん?

この毎度おなじみの態度豹変が面白くてたまらないんです。人間心理を垣間見るっていうんですか。ほんと誤解を恐れずに言うと矮小です。2人の時こそ、ガチンコで本当に思っていることをぶつけ合うチャンスでしょ。それなのに急に黙り込んじゃうんだから。

まぁそれだけ「場の空気」というのがいかに強烈かということですよ。もし空気ってやつを可視化するスコープがあったら、その場は朱色に染まっていたことでしょう。そういう瘴気を吸い込んで、参加者はみな狂う。それを維持せんがために、普段はやらないような攻撃をやってしまうんです。

逆に、2人になった時でも態度を変えなかったり、しっかりと話ができる人は「本物」ですね。本当の強さを持っている。こういう人は好きですね。あまりいませんけど。

「本物」まではいかなくとも、集団でいじりに参加しても加減をわきまえて周りに異端扱いされない程度に振舞い、2人になった時には優しさを見せるような人。これも本物の部類ですね。ここが多数派じゃないですか。そうであってほしいと願いますよ。

飲み会で集団にいじられて疲れている人への提案

参加しない

最大の解決策は「予防」です。そもそも参加しなければ起こりません。回避しましょう。わざわざ外出していつもより多めの酒を飲んで万券切って寝不足で帰宅するなんて馬鹿馬鹿しいでしょ。

でも、回避できない飲み会もあるだろうから、次の解決策を。

怒らない

いじり民族の最大のご褒美は怒りです。相手をいじることにより、顔を真っ赤にした時こそ彼らが勝鬨をあげる瞬間です。これを与えてはいけない。餌は禁物です。煽りに対する反論みたいなものです。いじられて嫌なのに、それに燃料をくべたくはないでしょ?だから怒ったら駄目ー!

真顔で回答

ド失礼な質問に対しても、真顔でストレートに回答してやりましょう。そうすると相手は「ちょwそんな真面目に答えんなよネタだろ?」って軽く狼狽します。相手の心をえぐってまで何らかの生産性のある結果を求めている人たちじゃないんですよ。所詮、刹那的にマウントをとって優越感に浸り、それを酒の肴にして笑いたいだけなんですから。その期待をしっかり裏切ってあげましょう。カウンセラーに質問されている、これくらいの気持ちで受け答えしていると、そのうちバカげた質問をしてこなくなります。

慈しみを持って見よう

人を攻撃するということは、自分に弱さがあるからです。だから、こちらを下手にいじってくる人は心のどこかに闇を抱えている。それを優しく包摂してあげてほしいのです。「ああ、辛いんだね、心に闇があるんだね」と。そういう風に見れば、いじる集団もどこかもの悲しい、救われるべき存在だと思えるはずです。彼らは弱者です。

だからといって「何か悩みがあるなら聞きますよ」って実際に言ってしまうと、相手には煽りとして受け取られるのでお勧めしません。心の中でそう考えていましょう。

おわりに

同期の中にも何人か本物がいる。これだけで随分と救われます。人間も捨てたもんじゃない。けど、それとは対照にこちらが年下ならどんな扱いを受けても良いと考える人、その場でターゲットを作って扇動する人もいる。ここも認めざるを得ないですね。信用ならぬ人もいます。残念です。

昔は十把一絡げに人間の集団を見ていましたが、今は相手の振る舞い(精神)によって強いか弱いかというのを鑑別するようになってしまいました。今後の人間づきあいでは、この目を活かして距離を置くべき人と大切にすべき人を見極めていけばいいのかなーなんて思ってます。

 

思い出します。振り返れば小学生の頃に虐めを受けていた際も目に見えない空気のようなものが教室(の人間関係)を圧倒していた。そこには先導者(悪のリーダー?)みたいのがいて、そいつが空気の発生源だったように思えます。何度か闇討ちを考えたことがありますが、その方向性は間違っていなかったんでしょう。ガスが漏れている穴を塞げば、根本的な解決に至るわけですから。ただ、方法としては安直(非現実的)だった。ここは子供らしいですけどね。

社会に出た今、その穴を塞ぐ術は圧倒的に仕事ができるようになるあるいは立場(役職)を上げていくあるいは精神的にタフになるのどれかが解決法なのでしょう。抗っても、余計に圧力を受けるだけ。ならば柳の如く、水の如くさらりふらりとかわしながら生きていくのが最善の処世術と見たり。

僕が仕事に打ち込む理由、実はここに大きく起因しているのです。ナメられたくないから。繊細なんですよ。馬鹿にされるのも面白くない。だから、誰にも文句の言えないくらいの仕事をしてやろうって常に考えているんです。

 

むむ、今回はちょっと愚痴っぽくなりましたね。

全国のいじられ被害者のみんな、負けるなよ。

僕がついてる! 

 

いじめに負けないで