羆の人生記

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40歳目前の無資格おっさんが会社を解雇されたらどう生きる?

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40歳を目前にして、もし会社に放り投げられたら自分はどうなってしまうのか?というのを想像してみた。放り投げられるというのはもちろん解雇のことだが、つぶしのきかない専門職が職を失うという意味で解雇よりも放り投げるという表現が適切と思う。

 

さて、どうしよう。困ったな。免許という免許は、自動車の普通免許しかない。危険物の4類すら持っていない。なので、即戦力としてどこかの会社に雇用されることはまずないだろう。

 

力はそれなりにあるので、肉体労働なら当座はこぐちをしのげるかもしれない。しかし、もう40歳になろうとしており、毎日、腰のあたりに違和感を覚えるあたり、墓場までこれでは食っていけないだろう。

 

正攻法でいくならば、何らかの資格を取得することが安定した生活への近道に思える。具体的に何の資格かという知識は持ち合わせていない。今は危機感などほとんどないのだから、さもありなん。きっと、実際に今回のような状況に陥ったら、必死で調べるのだろうけれど。

 

何かを目標に継続して努力する才能には、ありがたいことに恵まれた。搭載されたCPUも、人並には備わっていることを親に感謝したい。しばらくは切ない思いをすることだろうが、きっと何らかの資格を有して再起を図ることだろう。自分のタフネスさを信じている。

 

生活水準は大きく下げなければいけないだろう。恥を忍んで親元で暮らせば、住居費はかからない。しかし、世間体やなによりも自分の自尊心というかちっぽけなプライドは微塵も満たせなくなるだろうから、今よりも卑屈になってしまうかもしれない。一般論として親元にいるべきではない、と断言するつもりはないが、少なくとも自分はこうなってしまうことが考えれれる。それに、生来のひとり好きだから、たとえ親であろうとも同居にはストレスがつきまとうはずだ。おなればやはり、ひとりで暮らすしかない。そうなればお金は稼がねばならない。食べるものももちろん、娯楽も質素に。酒・たばこは断って当たり前。読書は図書館で。あれ、なんだか健康的じゃないか。

 

さてサブウェイ中のサブウェイだが、ユーチューバーというものになってみるのもいいだろう。社会的には背水の陣である。こうなれば恥も外面もあったものではない、顔だしで日々の生活や企画ものをアップして読者獲得にいそしむことだろう。ユーチューバーとしてそれなりに成功するには、特定の才能がないものはとりあえず顔を出してチャンネル主に親しみを覚えてもらうしか道はない、そう考えている。人の感情に訴えれば、一定数の応援者は付くものだから。

 

ユーチューバーをする傍らでサラリーマンとしてドロップアウトした40歳手前の無資格おっさんが収入源として期待したいのは、アフィリエイトだ。ここ2年ほどSEOやアフィリエイト関連の知識や作業は全くといっていいほどアップデートできていないが、窮鼠となれば吸収する知識や作業量も飛躍的に向上することだろうし、月10万円程度を安定して稼ぎ出すには時間はかからないと思われる。細かいITチックな作業をちまちまと継続する気質にも、偶然にも恵まれたというのも大きい。

 

 

とにもかくにも、もし今、会社を解雇されたならば社会を見る視点も大きく変わっていくことだろう。会社の福利厚生に囲われて何不自由なく(ある程度の人間関係や忖度の汚さは甘受しなければいけないが...)暮らしていた状況が一変し、何をやっても自由だけれどその代わり多大なリスクを背負って生きていかねばならないのだから。いうなれば足かせが外れたはいいけれど、未開のジャングルを冒険しなくてはならないような、そんな気分になるはずだ。

 

並行世界ではきっと、四苦八苦しながらも未開のジャングルを切り開いて、それはそれで刺激のたっぷりな生活をする自分がいるに違いない。もし、そんな自分と出会うことができたのであれば、そっちの世界はどうだい?と一晩中でも話を聞いてみたいものである。きっと、焼酎の炭酸割が好きなのは変わらないだろうから、飲みながらゆっくりとね。

 

今の自分には、自分でその場所に踏み込む勇気はないし、その予定はない。でも、もしそうなったら。また新しい人生を歩めると思えば、そこまで絶望するとは思えない。