羆の人生記

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人生は運不運という意味で「親ガチャ」は的を射ている

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痛いニュース(ノ∀`) : 『親ガチャ』というワードが若者に流行 「自分の人生がハズレなのは親ガチャのせい」 - ライブドアブログ

風呂も入れず、笑っただけで怒られてた小学校時代の同級生がいた。親ガチャ、あるんでないかな…

2021/09/09 22:37

 

親ガチャって言葉はここ数年で耳にするようになって、主要メディアでやっと出てきたのが今。

 

ガチャに例えるのが適切か否かはさておき、どのような家庭に生まれるかははっきり言って運なわけだから、間違ってはいないと思う。

 

親が金持ちなら子にも恩恵はあるし、教育への投資を惜しまない親なら子は潤沢な教育環境で学ぶことが可能。

 

親が貧困であれば、子も食うに困る。これを是正?救う?ために福祉はある。

 

親が金持ちでも、子に関心がない、あるいは金品のみを与えて肝心な精神面の陶冶をしていけないとなれば、アダルトチルドレンへの道まっしぐら。

 

親が貧困でも子のことを真に考え、自分のできる限りのことをしてやれば、子は育つ。

 

以上のことから、親の年収=幸せに直結するわけではない、ということが分かる。ただ、現実として、やっぱりお金がないと手に入らない環境やモノはあるし、幸福度はある一定の年収までは伸びていくという研究結果もあるくらいだから、要素として無視はできない。

 

親だけじゃない、自分の容姿や才能、脳のスペック含めすべてにおいて人生は「運」でしかない。だから、もし何らかの不幸を感じ取って絶望しているなら、それは運なのだと自分に言い聞かせる必要がある。逆に何らかの幸福を感じているならばそれも運によるものとして有難く思うべきではある。

 

で、その周りはどうすればいいかというと、当然、当人にとって幸不幸は運なわけだから、やれ不運な人を努力不足だとか自己責任だとかピーピーいうのはお門違いってことをちゃんと理解しよう。逆もまた然りで、やれ幸運な人を努力の賜物だとか本人が吸い寄せたとかほめそやす必要も・・・まぁこれはやってもそこまで害はないから否定はしないけど、少なくとも不幸な人に「自己責任」と吐き捨てるのは、不運にも怪我をした人に蹴りを入れるに等しい行為なのでやめれ。

 

で、国としてはどーしたらいいのか、というと収入差が埋まるような税金の配分をすべきだし、不運な人を救うためのセーフティネットや福祉政策を充実すべき。誰しも安心して生きることのできる世の中を作ってほしい。安心安全は足元から始まる。当然、国民一人一人の足元のこと。

 

もし、世間が不運な人を殴りつけるようなことをせず、理解するならば。国が不運な人も救うような政策をしてくれるならば。これでみんなは「転んでも安心」な人生を生きることができるし、言いたいこともいまより少しは言える世の中になるんでないかな。少なくとも今の日本は失敗は許されないし、呪いに満ち溢れているのは確かだろう。

 

ガチャに当たって喜ぶ人

 

 

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