羆の人生記

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離婚歴のある人との結婚観

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ほかに吐き出すところがないから、ここに書く。

 

皆さんは離婚歴のある人との恋愛あるいは結婚をどう思うだろうか。

 

自分は、誰かを好きになってお付き合いだとか結婚をするとなれば、離婚歴はあまり重要度が低いと思っている。ただ、これは自分が離婚歴があるから、要素を低く見積もっているとも考えられるので、あまり一般化はできないかもしれない。

 

一般、といえば、世間はどうなのか。やはり、離婚歴があるとマイナス要素になりえるのか。

 

まぁ、普通に考えれば、なりえる。

 

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離婚という事実は、つまりいちど、誰かと添い遂げる決断をしたにも関わらず、未遂に終わったことを指す。伴侶に先立たれるなど、不可抗力的なものをのぞいて、相手がまだ存命であったにも関わらず離婚をすればやはり、否が応でも客観的に「別れを選んだ」という事実認定となる。

 

別れを選んだ理由あるいはそこに至った原因も、離婚歴をどう見るかの大きな判断指標になるはず。極度のアルコール依存だとか、DV気質だとか、浮気性だとかが原因で離婚しているとなれば、次にお付き合いする又は結婚する相手は身構えてしまうことだろうし、それら障害が克服されていなければ、今後も困難は続くと予想できる。そんな困難は自分の選択で避けられるなら避けるだろう。誰も、好きで茨の道はゆかない。

 

それと経済力的なものだ。財産分与(法務省WEBに飛ぶぜ)という制度は、離婚した相手に対して財産の分与を請求できる権利であり、離婚者は多くの場合、それを経験している。かくいう自分も分与経験者で、二回目の離婚時はなかなかの額を分与している。つまり、離婚者は未婚者と比べて経済的にハンディキャップを追っている場合が多いと考えられる。富豪と結婚して財産を分与され、結婚前よりマネーがブーストするような例外は除いて。

 

結婚相手に求める要素としてぶっちぎりのキングはマネー、経済力である。そこにきて、財産分与を終えた離婚者はそれを査定項目に挙げられて戦えるのか、というと、正直、厳しいものがあるだろう。誰かと生きていくうえでまず金の問題を挙げねばならないのは、どこか世知辛さを感じるのだが、実際問題、そうなのだから仕方ない。

 

離婚者を恋愛結婚対象にするうえでのハンディキャップは、挙げればキリがないけれど、最後は目に見えない呪いのことを話そう。「差別」というものである。

 

離婚者は結婚制度の敵。社会不適合者。どこかだらしない。×。忌まわしき属性。自分の子供が選んだ相手が離婚歴があったら、とても心配。こういった類。かつて離婚者は出世できなかった、なんて時代もあったらしい。自分の身の回りでは見えないから、時代遅れで無くなりつつある差別なのかもしれない。まぁ、こういった類の呪い。

 

離婚者はこういった視線を少なからず浴びて、生きている。心のどこかで最終的には前向きに変換して、とりあえず今日という日を乗り切っているかもしれないけれど、やっぱり、そういう風に見られたり言われたりした場合は、無意識化でも自尊心を傷つけられるものだと思っている。

 

離婚者を相手にして結婚を進めようかどうしようか、という場合に、自分の知人友人や親からの心配、世間からの評価などを気にして二の足を踏んでしまうこともまた、この呪いのカテゴリーに分類されるのではないか。もちろん、先に挙げた離婚の理由や経済的なものも複合しているんだろうが。

 

さて。

 

自分がもし離婚者で、誰かとお付き合いをしていて、いざ結婚か?となった場合に、相手がこちらの離婚歴を理由として結婚に二の足を踏んでいたとしたら、あなたならどうするか。

 

当然のように、これまで述べてきたことを理由として、相手が躊躇する気持ちを持つということを、理解できんわけでない。いや、むしろ、少しでもそういうものを持っていないとしたら、お前どれだけ聖人なんだよ、と心配になってしまうレベル。だから、あっても構わないし、仕方のないこと。でも、もしそれが見えてしまったら?言葉に出してしまうとどうだろう。

 

結局、自分はそういう目で見られていて(少なからずね)、これから結婚しようとしている相手がそういう思想を持っていて。そういうのが分かっちゃったら、なおその人と生きていきたい?自分がどんなに見られようとも、トータルでプラスで愛してくれるなら、泣きついてでも結婚する?添い遂げようと思うものか?

 

「てめえ離婚者の分際で、この期に及んで相手を選ぼうなんて虫のいい話じゃねえか」という声も聞こえてきそうなもんだし、例えが適切か自信はないけれど、もし社会で何らかの罪を犯して、法令に基づいて罰を受け、刑期を満了して社会に出ても「てめえはかつて罪を犯したんだがら、うつむきながら生きていくことは仕方のないことなんじゃねえの」と言われぐうの音も出ない状況に近いのかなとも思うし、そういう人たちって、いろんなものを背負って生きてんだろうなとも思います。こういう話は「被害者のこと忘れてませんか?」という斧が飛んできやすいんだが、それはまた別の次元で考えないと、お互いに大事なものを失ってしまうそうになるので。罪と死刑制度なんかも、これごっちゃになってるから話が進まないんだと思ってる。脱線。

 

まぁ、僕らみたいなのは、開き直ることは許されない。生きるということは生かされているということでもあり、謙虚さと感謝を忘れた時点で、道を踏み外しかける。だから、1日のはじめにでもリセットをかけて、謙虚と感謝ゲージを溜めて仕事して、減ったら余暇で整理して次の日の朝にまたチャージするような生き方をするしかないのかな。これ、離婚者に限らずみんなそうなのだろうから、離婚者や前科者等(一緒にしてごめん)は余計にそれを求められる気がする。

 

だから。もし、お付き合いしている人が、離婚歴を理由として未婚者とは違うマイナスな対応をしたり、あるいは何かしらの形で口に出してしまったりした場合には、それを苛烈に攻め立てるのは筋が違うって話になる。けど、気持ちは分かるんだよ。でも、結局、起きてしまった事実は変わらないし、「無条件に私を愛してください」ってのは、幼児期で卒業しなきゃならない理屈なんだろう。自分の歩いてきた道の清算は、自分でやらにゃならん。それを相手に肯定してもらえないからといって、斜めから糞投げつけるような大人は、もはや大人になり切れなかったんだろうな、と。

 

私は、そうね。相手がそれでも良しとするなら、人生かけて供に生きていくことにしよう。離婚者だから、のマイナス部分はあって仕方のないものだから、トータルプラスならそれでいいんじゃね?

 

でもね、自分の魂を売り渡すことを強要されるレベルに、離婚者のレッテルで伴侶に呪われ続けるくらいなら、謙虚さと感謝と自分を大切にしながら、一人で墓場までのんびり歩くつもりです。