「選挙カーでの名前の連呼は嫌がられますが、効果がある。心理学では“単純接触の法則”といい、“目で見て、耳で聞いて、手で触って”という接触が繰り返されると好意が生まれる。伝統的な選挙運動の手法は、日本の選挙制度の範囲内で最適化されてきたものなんですね」(同前)
https://www.news-postseven.com/archives/20121126_156793.html
まじか・・・。
ただただうるさい、としか感じていなかった一市民としては心外だ。
単純接触の法則は知っている。好かれたい相手には、できるだけ数多く接したほうがいい、というのは経験則でもわかっている。それに、遠距離恋愛がうまくいかないことが多いのはこの単純接触の法則が絡んでいるのではないか、というのも疑っているところだ。
しかし、よりによって選挙カーの名前連呼が奏功??んな、馬鹿な・・・。
前にどこかの言説で耳にしたのは、選挙カーで喧伝して頑張っていないと、老人たちが認めない、というもの。ああ、なるほど、そういうことなのか?なんて思ったりもしたけれど。
ぶっちゃけ、北海道中核市のいち市民としては、選挙カーでの名前連呼はうるさいし、迷惑でしかないという感想をここに書かせていただく。こちとら夜勤もある仕事で、昼間にも眠りたいことがある、にも関わらず選挙カーの爆音で何度、起こされたかわかったものではない。
同僚の中にも、新生児や乳児が家族にいる人はこぞって「選挙カーうるせえ」と文句を言っていた。そりゃそうだろう、せっかく寝付いた子供が選挙カーで起こされれば、たまったものではないからである。
・・・けど、結局、選挙カーを出さないで奇策に出た候補者はたいていが票を集められない、という事実を知るにあたり、選挙カーが今後もうるさく街中を走り回ることは致しかたないのかな、というあきらめの境地に達しそうな心境でもある。
個人主義が、こういった選挙活動で一時期でも世間を賑わすことを許さない!という風潮を作り始めているのだろうか。そんなことも考えてしまう。