今回は書籍『幸せになる勇気』の感想です。
前作『嫌われる勇気』がアドラー心理学の「入門」とすれば、今作は「コンパス」の役割を担っています。より実践的に説明しているといえましょう。
どのような本か、おおまかな感想
アドラー心理学をテーマにしたもので、
- アドラーに精通した哲人
- アドラー実践を試みるも教育現場で挫けつつある青年
の対話形式で進行します。
※前作も同様の形式
僕はこの形式が
大変読みやすく感じており
多くの人に読まれる大きな理由の一つとみています。
前作が100万部を超えるベストセラーとなったことも頷けるほどの読みやすさ。難解な言葉などはほとんど出てこず、読み進めるものを物語の中にグイグイと引っ張り込んでいく力を秘めています。
挫けそうな青年、というのは前作でアドラーの入門概念を哲人から学び、教育現場(教諭として)実践を試みたが上手くいかず
「アドラー心理学はまやかしだ、捨てるべき概念だ」
とばかりにいきまいて哲人に猛烈に食って掛かるパーソンに仕上がってます。
これがまた痛快、というのも
そうだそうだ、その通り、アドラー心理学を学んだけど難しすぎるんだよ(涙)
という僕が従前から感じていたことを青年が代弁するかのような内容なのですね。「よくぞ聞いてくれました」という感じ。ま、結果的にはアドラー心理学のさらなる深い領域「愛すること」を目の当たりにして感嘆し、青年はついに勇気をもって踏み出す決意をしたわけですが(笑)ここらへんは皆さんで実際に手に取って確認してくださいね、それぞれの心にカタルシスを生むこと請け合いです。
さてさて、以下に各章で語られていることを簡単に記し、それについての僕の所感をざっくばらんに添えることで素敵な書籍に手向けるあだ花とさせていただきましょう。
各章内容
第一部「悪いあの人 かわいそうな私」
- 「あいつはとんでもないやつだ!こんな悪辣なことをしやがる!」
- 「それでこれだけの被害を私は被った、毎日涙で枕を濡らし夜も眠れない!」
よく聞く愚痴のパターンですね。
哲人はこのように述べる人を対象にカウンセリングを行う場合、これらのことは聞き流す、と断じます。それに迎合したり無駄に掘り起こしたりするとかえって事態を拗らせることがあるから。
ではどうするか、というと以下の事項を提示します。
「これからどうするか?」
過去のことを振り返っても前に進めない。アドラー心理学は勇気の学問であるのです。
このほか
- 「自立」
- 「尊敬すること」
- 「ソーシャルインタレスト」
- 「共感を寄せる」
- 「アドラー心理学は魔法ではない」
など、第一部から核心に迫る熱い議論が巻き起こります。
第二部 なぜ「賞罰」を否定するか
褒めることも叱ることも止めた青年を、荒れる子供たちが容赦なく絶望に叩き落します。が、その現実を聴いても哲人は賞罰教育を否定するアドラーの教えを曲げることはありませんでした。納得のいかない青年、ひたすら反駁の姿勢を見せます。
他者とのコミュニケーションを諦めた者がとる手段、それが暴力であり、叱るのも怒るのも同義だ
と青年を一刀両断にするのが非常に印象的なシーンです。
ここではアドラー心理学について初めて学問的記述、というか分類が提示されていて「子供の問題行動5段階」が示されます。
称賛の欲求(第1段階)
良い子を演じます。社会人であれば上梓や先輩に従順を示す行動です。目的は「褒めてもらうこと」しかしこれは「いいこと」をしているわけではなく他者の欲求を満たすために行う行動であり、褒めてくれる人がいなければ不適切な行動をとる、とも言えるのです。
このような人たちには特別である必要はなく、存在自体を認める、価値観を共有していく必要があります。
注目歓喜(第2段階)
いわゆる「悪ガキ」ですね。これは良いことで注目を集められないことがわかり、問題行動等で気を引こうとしている段階です。ここでも「悪い」ことで特別であろうとする。欲求の根源は一緒です。
こういった人たちにも、特別である必要はなく、その価値観を認めていく必要がある。
権力争い(第3段階)
挑発し、真っ向から勝負を挑んでくるタイプの人間です。力の誇示により特別であろうとする行動ですね。反抗、とも言えます。
消極的な子供は不従順、徹底した無視などを貫くことでこれを示します(僕の兄がこのタイプだったなぁなんて、今更ながらに思い返されます)。
こういう場合は直ぐに土俵から退出します。同じ目線に立ってはいけない。
復讐(第4段階)
権力争いを挑んだにも関わらず、それに勝利することができなかった人間です。この場合は復讐へとステージを進める。愛情を得られなかった人間は「憎悪」を集めようとします。無視されるくらいなら憎んでくれ!という段階ですね。
ひたすら相手の嫌がることを繰り返す、そう、憎悪を集めるために。これをされると無反応でいられる人はいませんからね、結果的に行為者の意図通りになってしまうのです。自傷行為もこの段階に該当します。
こうなるとその人とあなただけでは解決が難しく、第三者の力を借りるなどせねば解決は難しいそうです。
無能の証明(第5段階)
「これ以上は期待しないでくれ、僕はできないんだから」このような状況です。こうなると手を差し伸べて欲しいのではなく、差し伸べられないことで自分の無能を証明しようとする。何事においても「最初からやってもできない」という風に諦めたほうが楽だという心境に陥る。ありとあらゆる手段を用いて自分の無能を証明しようとします。「僕は馬鹿だから」
ここも当事者にできることはない、と書籍では申してます。専門家ですら難しい段階なのだそう。
前作「嫌われる勇気」では見られなかった学問的分類が書籍内では示されます。この分類に紐づけて以降の進行内容でも引き合いに出されるので覚えておきたいところです。
第三部 競争原理から協力原理へ
なぜ褒めてはいけないのか。教室を民主主義国家に例えて見事に論ずる哲人の言葉に納得せざるを得ません。
青年も悪ガキに手を焼いて、上手くいかない原因は子供たちにあるのが当たり前、と考えていたのに、よもや「自分のことを愛せないが故の失敗」だとは考えないでしょう。徐々に青年の考えが揺らいでいくパートでもあります。目が離せません。
第四部 与えよ、されば与えられん
「すべての悩みが人間関係から生ずるとすれば、すべての喜びもまた人間関係から生ずる」
この本で最も大好きな部分を強調させていただきました。アドラー心理学では「すべての悩みは対人関係から生ずる」と述べておりますが、前作ではこの「喜び」についての記述は見られませんでした。
悩みを避けるなら人と接しなければ良い、というニヒリズムに陥りがちな、いかにもアドラー心理学を学びたての人間が誤解しやすい部分を気持ち良いくらいに氷解させてくれるのがこの章です。
第五部 愛する人生を選べ
「愛は落ちるものではない、積み重ねていくものだ」
「「わたし」ではなく「わたしたち」の幸せを願う、それが二人で生きていくということだ」
結婚で失敗した僕としてはバットでぶん殴られるくらいに衝撃的な内容でありました。非常に痛烈で、直視したくないくらいに心をえぐってくる。だけど、きっと、だれかと一緒に幸せになるためには避けて通れぬ道なのだろうな...というのを嫌でも痛感させられる、そんな場面を見ることができます。最終章に相応しい内容です。
「自立とは「わたし」からの脱却である」
・・・アドラー心理学、長いお付き合いになりそうです。
総括
ここで紹介したのは氷山の一角、書籍の触りに過ぎません。できればみなさんに実際に本を読んでもらいたい。
今までの考え方に新たな方角を示してくれるコンパスを与えてくれるかの如く価値のある内容なんだよ!ということを示すには言葉足らずで稚拙だったかもしれませんが、でも、紹介せずにはいられない。僕一人で心にしまっておいて良い学問じゃない、多くの人にこれを知ってもらって生きやすくなってもらいたいのです。特に教育現場でお悩みの方には、心にズドンとくるかもしれませんね~。
大業ですが
「アドラー心理学がもっと世の中に広まってほしい」
という理想もあります。
「世界はシンプルである」
これは前作で示された概念ですが、実はこれには続きがあって
「世界はシンプルである。だが、シンプルであり続けることは簡単なことではない」
このように今作は教えてくれます。
普通であることを受け入れる勇気。
一歩一歩、いまここを勇気をもって歩む心。
ほんと、勇気を試されます。実践は怖いかもしれません、今までの自分を変える冒険の一歩を踏み出すためのコンパスを与えられるようなものですから。
でも、踏み出しましょうよ。
今のままでは変わらないです。原因論に終始して過去のことを引きずったままでは、足踏みしているようなものですから。勇気をもって、前に進みましょう。アドラーはあなたの心の中にいます。いつでも、どんなときでも。