羆の人生記

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「仕事と割り切る」麻酔自己注射ゾンビプレイ

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どうもどうも。

サラリーマンが主で、片手間にブログを書いている管理人です。

今回は仕事の話をしましょう。

仕事になると目の色が変わる人たち

「仕事だからね」このワードでほとんどの違和感を打ち消せるという、ドラクエ3だったらゾーマの凍てつく波動よろしく、非常に効果の強い言霊なのですね。

なんかいろんな説明を省いてスタートしちゃいましたが、例えば「え、それはちょっとキツい・・・。」という、精神的にも体力的にも、普通に考えれば(日常的に考えれば)ありえない行動も「仕事だから」と言われれば「そうか、仕事か。では仕方ないな、やるか。」とばかりに感覚を麻痺させてそのキッツイお仕事を無表情で遂行する、そんな日本人がいっぱいいるんじゃないかな。 あ、主語がでかくなったね、危ない危ない。少なくとも僕の観測範囲ではそんな感じ。

自分もその気あり

「仕事なら割り切って、なんでもやる」というのは、自分の中にある。なぜこのような思考になったかは不明。両親の教育か、環境がこの心を産んだのか、それとも生まれつきのクソ真面目さなのか。

仕事をしなければ、食えない。食えないということは生きていけない。生きていくには食うしかない。食う手段として仕事がある。だから仕事をする。それについて文句を言うことは、つまり食うことに異議を唱えることとなる。食うことに異議を唱えることになる。それすなわち、生の否定にも繋がりかねない。

こんな危ない考えが、自分の中にあるんだなって、これを書いている最中にも少し恐ろしくなりました。いやいや、そうじゃないよね、確かに生きるためには食う必要があるけれど、その手段は無限にあって、別に今の仕事じゃなくても、いくらでも食っていくことは可能。たとえドロップアウトしたとしても、国家の保護下にあれば飢えて死ぬこともない、行政手続きを自分で踏める程度のリテラシーさえあれば。だからここまで飛躍した考えは持たなくてもいいはずなんだ。が、やっぱり仕事となると真剣になりすぎる自分がいる。

仕事が「生きること」と混同している。だから、むちゃ真剣になっちゃう。盲目。生きることに真剣なのは結構だけれど、べつに今の仕事じゃなければ生きていけないわけじゃない。それは少し引いて冷静に考えればわかることだ。それなのに熱くなる。いったい、なんなんだろう。

まぁ、仕事に熱いことは、今のところ悪い影響は生み出していないと思う。一時期は周りにもそれを求めて怒り狂っていた時期もあったけれど、歳を重ねるごとに徐々に丸くなっていって、その胸焼けしそうな情熱は自分の心に留めることができるようになった。だから、今の仕事に熱い自分を否定するつもりはない。

「仕事」というフィルターを外して見ると・・・

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結構、キツいと思う。今の仕事は、とてもじゃないけど、それこそ「仕事じゃなければ」やれそうもない。ボランティアや趣味の領域では、とてもじゃないけど、こなす自信はない。これを好きで無償でやっている人がいるとすれば、僕にとっては変態の域だ。

職業の特殊性だけじゃない。会社に行って好きでもない人に愛想をふって、「え、なんでそんなこと言うの?」って思った場合も自分の感情を殺して笑って。腹の底で思っていることも言えない仮面だらけの嘘つき大会、そんな社会。それが果たして自分が好きかどうか、と問われるともちろん「NO」なわけで、じゃあなんでそんな好きでもないことをやっているの?というとやっぱり「仕事だから」なわけで、「食うため」なわけでね。こういう嘘つき大会に我慢の限界に達した人たちが、ネットではたくさんいるよね。退職して自分の好きなように生きる!なんて。人気者が多いね、そういう人。

嘘をついてまで仕事して食っていくことが100%本意な人なんて、ほとんどいないはず。だけれど、これ以外に食えるスキルもないし歳もくいすぎて転職が難しくなって、じゃあ仕方ねえなって自分の境遇を諦念の心境で受け入れている人がいっぱいいるんじゃないかな。それに抗って会社辞めて、それでも会社にいるときよりずっと裕福になってネットでふんぞり返れるのって、1%未満だと思う。今、ネットで大声を張り上げている人たちは、生き残って目立つからこそ声も大きい。

僕なんて、もし自分の好きなように生きていいよ、って言われたら「じゃあ、できるだけ人と会わない仕事やりまぁす!」と張り切っちゃうよ。なんで、こんなに気を遣わなきゃいけないんだ;;鈍感な人たちの集まりだから、どれだけ繊細な心が揺れているかなんて、きっと想像もできないだろうな。

じゃあ割り切らない方がいいのか?

と、言われるとね。ちょっと答えに窮するかな。割り切ったほうが、淡々と仕事をこなせるわけだし、多少のことは我慢できるようになる。リングに上がったボクサーは、アドレナリンMAXで相手のパンチにも痛みを感じにくい、みたいなもんで。これがもし買い物中に突然パンチを浴びたら、想像を絶する衝撃と痛みに苛まれるはずだ。仕事と割り切る、というのは、おそらく麻酔の作用も含んでいると思われる。

が、この鈍磨させる効果が悪さをするとどうなるかというと。例えば上司の罵詈雑言も「仕事で言われている分には仕方ない」と割り切ってしまう。自尊心を傷つけられる、人格否定のような言葉を浴びせられても「仕事だから文句は言えない」と耐えてしまう。その結果、闇が蓄積して気が付いた時には足も体も動かなくなって、心療内科に通うことになってしまう。脳がストレスで病気になるということ。こういう事態も招くんだよね。プレイベートで、心が壊れるまでキツいことをやりますか?または、心が壊れるまで罵声を浴びせられる場所に好んで行きますか?行かないでしょwでも、仕事はそういう逃げるという動作をも封じてしまう恐ろしいものなんですね。

僕らは麻痺しながらキツいことをやっている

職場という名の戦場で、怪我をしてもそれを怪我と思わず、これは生きるために仕方のない苦痛なんだ、と半透明の目隠しをしながら、体に割り切りという名の麻酔をぶち込みながらゾンビプレイを繰り返している、それが僕らだ。仕事以外に趣味はない、とにかく仕事に打ち込む、こういうタイプの人は要注意だね。燃え尽きるのは目に見えいている。そう、僕のことだ。気を付けなければ!・・・とはいっても、この仕事に対する割り切りの麻酔を打ち続けることは、今は止めることができない。これを止めたくて、夢にすがるかのごとく市井の人々が買い求めるのが宝くじなんじゃないかな。しがらみからの脱出。もう愛想笑いはしたくない、けど、きっと一生愛想笑い。でも宝くじが当たったら、そんなことしなくても生きていける・・・!なんてね。

 

仕事帰りに、得体のしれない疲れがドっと体を襲うんだよ。毎回。これって、普通ではありえないことを「当たり前のように」こなした結果、体に歪が生じているからだと思うんだよねぇ。かなーり、無理してるんだわ。きっと。好きな仕事なんだけれどね、人間関係のシガラミからは、なかなか逃れられないのさ。ああ、遠いな、退職。早く日本全国をブラブラと旅する身分になりたいわー( ˘•ω•˘ )