簡素・質実な生活を表す
簡易生活
簡素・質実な生活。
必要ない物は持たずに処分し、すっきりとした部屋で、厳選された物にかこまれて暮らすこと。
おす、ポジ熊です。
今回は引用文を並べる形で記事を始めるよ。
テーマはそう、「シンプルライフ」
最近、いやもうちょっと前からか、よく聞く言葉です。僕が学童の頃、そして社会人として働き始めた頃はあまり聞かなかったことを考えるとここ十数年で注目される言葉なのかもしれません。ブログやTwitterのアカウントでも「シンプルライフ」を標榜する人は少ないくないですね。このサイトの読者にも少なからず存在します。
シンプルライフってどういうこと?
僕の考えを述べます。
シンプルライフ、つまり単純な生活です。
入り組んだ欲望や達成困難な課題を背中に乗せて重苦しく生きるよりも、ライトな生活を。こんな感じではないでしょーか。
まぁ、ここで結論を述べちゃいますけどシンプルライフのゴールというのは
当たり前の日常を幸福に感じること
ではないかと。これは自信がありますよ。
あれがない、これがないではなく、手持ちのカードでこれだけ恵まれているんだから、これ以上何を望もうかという心境がゴールに限りなく近いと言えるでしょう。これ、僕が目指すところでもあるんですよね。
有難みってやつですか。仏教観にも通じるところは少なからず。無い物に腐心するなかれ、有るものに有難みを感じて生きていこう。これをガチで実践できる人は今幸せのはずですよ。幸せということはこれ以上望まない、ということです。欲望の連鎖から逃れて「今がベスト」だと思える心境。実に穏やかな凪の如きメンタルであります。
物質面の渇望
あれが欲しい、これが欲しい、キリがないですよ。買わなくても、最低限賄えるなら買わなくて良いじゃないですか。靴下やパンツだって、穴が開くまで使えるじゃないですか。豪奢な着物があったとしても、今着ているおべべがあるじゃないですか。これを買うことで生活が良くなるなら一考の余地はありますけれども、虚栄心を満たすための装飾品の類を購入する必要は全くないというわけです。
それと炊事ですね。外食も誰かと歓談する機会があれば生産性がありますけれども、栄養面で偏りがちになるくらいなら自炊でヘルシーに暮らした方が身体的にも経済的にも好ましいんじゃないかと思うんですよね。僕は95%は自炊です。毎晩のように自炊ツイートを垂れ流してファボをもらってほっこりしています。外食を否定するわけじゃありませんが、シンプルライフとの親和性は低いと判断します。
あとはお金。衣食住足りて自立した生活が送れる状況であれば、それは十分に満ち足りていると判断すべきです。雇用が不安定で1年先も見通せない場合などは英断も必要になるかとは存じますが、そうじゃなく安定しているにも関わらず「俺のやりたいことはこんなもんじゃない、もっと自由になりたいんだ」と職を辞して、何をやっているのかと思えば怪しいマネーに投資してそれを見世物にしてしまったり。もう完全に銭ゲバになっちゃってます。よくもまぁ四六時中そんなにお金のことを考えて生きていけるよなと感心します。お金で不安になったり夢中になるのは将来への不安という確たる理由だけで十分です。それ以外で日常生活で満ち足りているのに「お金、お金」と必死になっているのはもはや欲望の化身でしょう。こんな欲望の連鎖に取り込まれないことも、シンプルライフを送る上ではとても重要ですよ。
それにしても、どうしてここまでお金を求めるモンスターが闊歩する世の中になってしまったのでしょうか。資本主義社会がそうさせたのでしょうか。お金を持っていれば=パワーだという図式が大衆に浸透しているのかもしれません。それだけで何やらビッグな存在として崇められるというか。お金を持っているからといって人間的に優れているという証左にはなり得ないのですけどね、盲目的にそう判断してしまう人が多数いるがために、そういう人を集めてビジネスにつなげる人が多いのかもしれません。少し、考えることができる人ならば、「お金をこれだけ稼げる?だからなんなの」と冷静に判断できるはずなのですけどね。この社会ではお金が余りにも強大になり過ぎてしまいました。皆さんも心の目を曇らせないよう、ゆめゆめご注意を。蛇足でしたね。
で!唐突ですが物質に満ち足りるというのはとても恐ろしいことなんですよ。というのも例えばの話、タワーマンションの最上階に住んだとして、これより下には住めないよ、的な。簡単に言っちゃうと今の生活水準が「普通」になっちゃうんですね。そうなると収入も維持しなければならない。今持っている富をいつ失うかという不安感。これに苛まれちゃうわけです。日々、不安感がべっとりと付きまとってくる感じです。こういうの、望みますか?
人間というのは業が深いですね。かつてこの場所に到達した時の感慨はひとしおだったというのに、それに慣れてしまうと「次の感慨をよこせコラ」とゴロついてしまう。なんという悲しい習性でしょうか。欲望というのは無限に連鎖するということを忘れないでください。どれだけ稼いでも、稼いでも、あなたの心に空いた大きな穴、埋まりませんよ。そんなことよりその心の穴、埋めたいと思いませんか?
精神面の渇望
誰かと繋がりたい。
孤独は嫌だ。
寂しい。
戯言を抜かすんじゃないよ。人間なんてのは元来孤独なもんなんだ。一人で生まれて、一人で死ぬの。一人が耐えきれない人は、自分が満たされていない証拠です。不必要な人間関係をいつまでも引きずって、愚痴を垂れながらジレンマのレールを歪な音をたてながら進んでいるんですよ。「とにかく誰かと一緒にいたい」どんだけ寂しがりなんじゃ!一人が寂しいという人が誰かとくっつくと、大抵はその誰かのエネルギーを吸い取って不幸にします。そりゃそうよ、自分が満たされてないんだもの。底の抜けた鍋で美味しい料理を、作れるものなら作ってみろってんだ。そんなのどだい無理に決まってる。
まず、寂しがり屋がやるべきことは自分を満たすことです。優先順位を間違えないでください。誰かがあーだこーだ言ってる場合じゃありません。まずはその心に空いた風穴をパテでもなんでもいいから埋めろ。話はそれからだ。じゃないととてもじゃないけど他人に幸福をおすそわけすることなんてできん。人間は面白い、自分が少しでも満たされていないと、必ず誰かの幸せを食おうとする。これは方程式でもあるんじゃないかってーくらいに当てはまる。間違いない、空虚なあんたでは誰かと幸せになるなんて絶対に無理。だーかーらー、まずは自分を幸せにしろっての。お腹いっぱい、幸福を食いなさい。そこで腹がパンパンになったところで「さて、誰かに幸せを分けようかな?」っておもむろに立ち上がる。これくらいの余裕がないと駄目よ。
さて、シンプルライフと精神面でしたね。端的に述べると自分が嫌な相手とは離れなさいってことです。無理して付き合う必要はない。断るのはエネルギーがいるし、始めは嫌味の一つや二つ言われるかもしれない。けど、断っているうちにお誘いはこなくなりますから。僕は実際に、この方法で嫌な人とお付き合いすることを回避しています。断ってお誘いが来なくなって「寂しい」と感じる人は、まだシンプルライフに踏み込もうという不断の覚悟が足りてないように思えますね。とんでもない矛盾です。そんな中途半端なグレー状態でいるようでしたら、嫌か嫌じゃないか判明するまでとことんお付き合いしたら良いじゃないですか。自分の中に矛盾を生じることほど、不協和を奏でることほど客観的に見ても不自然なことはないですからね。「あースッキリ、誰からも誘われなくなった♪」と、枕を高くして寝れるようになってからが真のシンプリーと言えるでしょう。
当たり前の日常を舐めたらアカン!
当たり前の日常。
ピーマンて焼肉の時に丸焼きで美味いから「肉詰めも種除かないでそのまま焼いたらイケるんちゃう?」って考えて焼いてみたら案の定美味い。というわけで本日の飯テロ。サイドメニューは豚汁と肉詰めで余った挽肉のハンバーグ。ソースは残り油とケチャップ、ガーリック、ブラックペッパーのオリジナル。 pic.twitter.com/zBQxu6Zah0
— 羆 (@poji_higuma) 2017年12月28日
一人暮らしのおっさんが自炊で肉詰めピーマンを作り、それを写メってTwitterにアップするこの日常ですよ。これが当たり前=簡単と思ってはいけない。これって凄く難しいことで、まず自炊しようというモチベーションが必要です。店屋物で成人病まっしぐらな御仁が世にひしめいている昨今でこの動機は貴重です。次に買うお金ですよ。ピーマンとひき肉。これを変えなければ肉詰めは完成しない。当たり前です。そして作る場所。自炊して写メを淡々とアップできるなんて、親元ではなかなかできないもんです(やればできるんでしょうが)。これを気軽にやれる環境というのは独り暮らしが適しているってことです。こういうエンターテイメントを自慰でも良いからSNSでかませる余裕がある環境。こんなの簡単じゃないでしょ、住む場所にすら困っている人が自炊の写メをアップしてほっこりできるわけがないでしょ。
つまりこういう日常こそ奇跡ともいうべき幸運が積み重なってできた産物なんです。
ここを愛せればいい。「ああ、今日も最高の日常だった」と眠りについて、たとえ明日が来なくとも化けて出ることもないくらいにやり切った感を出す日常を送れていればそれで万事OKなんです。今回みたいに支離滅裂になろうとも思いっきりブログを更新できたーーー!ってのを生きがいにしても良いですよ。これも普通じゃないでしょ、奇跡でしょ。それを万歳しながら喜ぼうじゃないの。
満たされていない人ほど、刺激的な日常を求める傾向にあるそうです。だから、日常に有難みを感じることのできない人には要注意ですよ。当たり障りのない人間関係の範疇でそういう人がいるならばまだ警戒には値しませんが、自分の人生の半径10メートルくらいにそういう人が入ってきたら要注意。悟られぬようにしっかりと距離をとってください。あなたの「日常を幸せと思う心」という素晴らしいシンプリーな感性を曇らされることのないよう、ゆめゆめ気を付けてください。
シンプルライフをモットーとしていて、パートナーを探しているあなた。もうおわかりでしょう、パートナーにすべくは「日常を共有して幸せを感じれる人」です。刺激を求めるイケイケドンドンな人じゃないですよ。いくら容姿端麗あるいはイケメンパラダイスな人が相手だとしても、それは生活を共有すべき相手じゃない。願わくば「当たり前の日常を幸福に感じること」のできる感性を持った人を探してください。
人生を誰かと生きるということは、そういう相手を探す途方もない旅なんだよな。