数十年来の妄想ですけどね、「数億円の宝くじが当たったら」なんて。
一昔前はこんな想像でご飯2杯はイケましたけど、最近は「当たってもなぁ、困るよ」という気持ちのほうが強い。宝くじに当たった人が軒並み不幸になっているという嘘か真かの逸話も目にしているし、少し前に宝くじに当たった人へ向けた匿名ダイアリーのリアルな助言が未だに目の前にチラついているのも、こう考える要因かも。
ま、でもね、やっぱり妄想するんですわ、宝くじに当たったらって。身近に当たった人がいないのが本当に残念。他言しないことは仏陀に誓うから、どうか当たった時の感情や苦労したことなどを教えて欲しいです、追体験したい~!興味が強すぎる!数億円というお金の価値よりも「数億円得た体験」をしてみたい!!
そんな中で、ある1冊の書籍を読んだのです。
『宝くじが当たったら』
2015年に安藤祐介さんが記した、2億円の宝くじに「当たってしまった」中堅企業のサラリーマンの物語でっす!
書店行く前から「宝くじに当たった人の実例もしくはそれに関する本を読みたーい!」という欲動を抑えきれずに、書店内書籍検索端末で「宝くじ」と検索、該当棚になくて店員さんに声かけて手に入れたのがこの本なんですよ!フィクション・ノンフィクションは問わず。
書店からもらえる栞の色をチョイスしてから、「あの、すいません、やっぱりこっちの色で...」とか選びなおしたにも関わらず、この本は栞を使うことは一切なく、読了しちゃいました。面白かったってことです。
宝くじに当たる、ということを追体験したかったんですよ。自分で「もし当たったら?」ってのは限界があるじゃないですか、なんせ当たった経験がないのですから。妄想の世界も広げるのに限界がある。だから書籍の力に頼ったのです。
感想は・・・まぁ実際に読んでみてください。ご想像どおり、主人公の32歳サラリーマンはお金で相当苦労します。不安だらけですよ。しかも彼、言っちゃってるんです。SNSで宝くじに当たったことを爆散してるんですわ。うちらインターネット住民の常識とはかけ離れてるでしょ?
ラストは救われる展開になってますが、実際に当たったことを実名SNSでカミングアウトしたら、この小説よりももっと壮絶な事態が引き起こされると思いますね。こんなんは、まだまだ生ぬるい世界と予想。
仮定!億の宝くじ当たっちゃった
あ、本当に当たってないですよ。当たってたら、衝撃のあまりブログの更新は2週間くらい滞る気がします。「ポジ熊、死んだ?」とか噂流れるレベルでひとまずネットから姿消すんじゃないですか。
以下、「もし当たったら」を想像しながら書きます。
誰にも言わない、ブログにも書かない
言わない理由は、目を¥マークにして周りに数百人単位で群がってくることが予想されるから。普段からそういう薄っぺらい人間関係は遠ざけるように過ごしているのに、うっかり口を滑らせて2億持ってるとか言ったら最後ですよね、亡者にたかられて骨までしゃぶられるのが落ちでしょう。そもそも、本当に繋がりを求めて集まる人ってのは、金があろうがなかろうが、職があろうがなかろうが、訪ねてきてくれるもんです。一時的にお金を持つことで親密になった人間関係に、善いものはないのだろうな、と当たってなくても容易に想像できるってもんです。もちろん、お金が無くなれば引き潮の如く去ってゆき、残るは荒れ果てた砂浜でしょうな。
ブログにも書かないっす。なぜなら、すでにリアルで繋がってる人がいるから。この記事も、縁があれば多分読んでる。だから書けない。別にその人らが亡者とは申さないけれども、とにかく「知られちゃダメ」もうね、一人CIAエージェントくらいの気持ちで良いと思うんです、リアルに対する心構えは。
オフ会で顔を見た人やら交流した人やらもいます。その人たち、思い返すと悪い人はいなかったと記憶してますが、でも知られちゃダメ。本名も職業も知られてなくても、やっぱり当たったことは知られては駄目なんですー!!
どうしてここまで頑なに「言わない」を貫こうとするのか?それは、自分の意図しない場所で悲劇が引き起こされたりするのが嫌だからです!「自分のお金なんだから他人は関係ないっしょ」とは開き直れない、自分が生きているのは社会であり、その一因なんです。であれば、派生してくる人間関係も不可避なもので、それを拒むことは例えれば振ってくる雨を否定するようなもんです。無理なんですよね、誰かと関わらずに生きていくってことは。だから、常に他社との関りを意識しながら生きていくという観点から、宝くじに当たったことは苦しくても胸の中にしまっておくんですよ!親類縁者にも迷惑かかるよ、多分。
じゃ、どうするのよ、その億のお金・・・
どうしよう(;´・ω・)
欲しいものもないです。なんせ「車いらない」派なので、物欲がないことはお察しですよ。背伸びして良いもの買ったとしても、先ほど述べた通り誰にも知られてはいけないので、お披露目はできません。いや、自慢するのも好きじゃないですけれども、でも家に友人知人をお招きした時にその購入したブツを毎回コソコソと隠さなきゃいけないのか?って話で。わー、窮屈。
えーっと、とりあえず銀行に寝かしときます?
これが一番無難な気がする。やれ投資信託だあーでもねーこーでもねーと、「今より増やしましょう」というお話が銀行さんからあるかもしれませんけどね。たかだか数億円の使い道がわからねえと嘆いている小市民が、それ以上の富を求めてどーするというんですかい?というわけで銀行に寝かせておくのが吉ですな。
え?何も買わないのかって?
だって、今の生活で満足しているのに、これ以上何を求めればいいというのですかね。我が北海道が誇る札幌市はススキノで豪遊しますか?遊びつくした後で待っているのは虚無感だけでしょう、それで心が満たせれば、悟りなんて開く必要はないんだっつう話で。
嫁さん探し?
いやいやいや、数億円を手にしたから素敵なパートナーに巡り合えると本気で考えるなら、今までの人生のリフレインで終わるでしょ。お金や肩書で寄ってくる人はロクなもんじゃないし、そういう人に欲動で惚れ込む人間性は、少なくとも正したつもりじゃー!
結局、当たりたくない人
ほんと身も蓋もないですけど、当たったらロクなことないんで、当たりたくないです。数億円も銀行口座に振り込まれて涼しい顔していられるほど器でっかくないんで、これは本音。
けどね、知的好奇心というか、「当たったらどんな気持ちになるのか、大金を抱えたら人間はどうなっちゃうの、仕事への姿勢は?」とか興味が尽きないんですよ。だから全く当たりたくないといえば嘘になる。なんというか、地獄みたいのが本当にあったとして、そこへ足を踏み入れないと中の世界が見渡せない、かといって踏み入れるのは怖い、みたいなね。そんな心境なんです。
って、まるで宝くじはいつでも当たるけど当てない、みたいな物言いさせてもらってますけど、まー当たりませんからね(笑)宝くじシミュレータみたいなサイト試したことあるけど、おっそろしいほどに当たらんのな。
これ、見て。現実に帰るよ。
みんなは当たりたい?
今まさに借金地獄とかワープアで輪廻待ちです!とかそういう壮絶な人もいるだろうし、先立つものは金であったらあったに越したことないって人は山のようにいるのでしょうが、どうです?
億の宝くじ、当てたいですか?
もし、当たっちゃったら、どうするんですか。周りに言っちゃいます?それとも家族だけ?家族だけでも、その話、広まらない自信はありますか?
あ、もし当たって吐き出す場所がなくて苦しくて苦しくて震えちゃう人は、良い場所あるよ。
こちら。
宝くじを当てる妄想でモヤモヤしちゃうひとは、とりあえず断捨離記事でも見て心を静めてくださいね☆