みなさんに質問です。
誰かに何かを頼るとき、あなたの心の中ではどのような動きをしますか?
僕は「申し訳ない」なんですよね。
子供のころから頼みごとが苦手
記憶を可能な限りたどれる子供時代から、誰かに頼るのは苦手でした。負けず嫌い、というのも影響していたのかもしれません。頼んだら負け、みたいな気持ちが心のどこかにあったのだと思います。
何かの案件を抱えて、ひとりではとても処理できないことでも、ひとりで抱え込んで、パンクする。で、そのたびに「どうしてもっと早く言わなかったの?」と責められる。こんなことはしょっちゅうありました。
子供の頃の気持ちは、先ほど述べたように「負けたくない」だったのでしょう。しかし、青年期~現在に至るまで続く「他人に頼れない」は、少々質の変化を起こしています。
頼んだら申し訳ないという気持ち
20歳~現在に至るまでも、頼るのは相変わらず苦手です。ただ、それは自分の負けを認めたくないというメンタルよりも、「相手にこんなことを頼んだら、迷惑だろうし、そんな嫌な思いをさせるくらいなら自力で消化する」というのが主な理由となりました。
もうね、とにかく、勝手に慮るんですよ。
- お願い事をしたら、相手の時間を拘束してしまうのではないか?
- こんな手間がかかって、つらいんじゃないか?
- こんなことは、ぶしつけじゃない?
などなど。決めつけです。相手の心は自分がコントロールするわけじゃないのに、決めつける。無駄な推察というか、余計な共感力というか・・・。
さてさて、こんな精神が常に渦巻いているものですから、基本的に、というかギリギリまで自力でなんでもします。「え、これ、ひとりで全部やったの!?」って驚かれるような作業量でも、ひとりでこなすことも多々ありました。普通は2~3人でするようなトータルの作業量などですね。これをひとりで終わらす。頼るくらいなら、自分だけで少し苦労してでも、やり遂げたほうが精神的に楽だから。こんな有様です。
誰かを素直に頼れる方が、社会性が増すのに
たまに、ふと思うんですよ。「頼りたい」って。でも、罪悪感という重圧に潰されて、結局頼らないんです。なんでしょうね、素直になれない?なんなんでしょう。
ここからは想像なんですけど、人って頼られるのは悪い気持ちじゃない、むしろ良い気持ちになることが多いと思うのですよね。僕も頼られるのは好きなんですよ。頼みごとをされたら、色付けて全力で答えるくらいのことは、いっつもしちゃうんです。それに、「僕を頼ってくれてありがとう」という気持ちにもなれる。
だったら、自分からも誰かを頼ることで、相手は「頼ってくれてありがとう」という感情を起こすものだと認識しても、おかしくないのに。それなのに、自分が誰かを頼るときには、「手間をかけさせてごめんね、申し訳ない」という気持ちが支配的になる。うーん、これって、どうにかならないのでしょうか?
今は、自分ひとりでこなせることを、自分の手の届く範囲に並べて事なき日常生活を送っていますけど。少々込み合った案件(公私ともに)を抱えた際は、この「頼れない性格」がきっと仇になると思うのですよ。だから、なんとか矯正したいのです。
僕は、誰かに素直に頼みごとができるパーソナリティを備えたい。
心の底から、そう思ってます。だから、参考になる書籍など、ご存知でしたら是非とも教えてください。どのような方法でも結構です。
もともと、ひとりでいるのは好きです。
それに、自分が敏感、繊細で傷つきやすい「HSP」であることも知っています。
でも、ひとりが好きだから、HSPだからといって、「人に頼みごとができない」は、イコールではないと思うのですよね。きっと、なんらかの心が、人への頼みごとを阻害しているのではないかと勘ぐっているのです。この障壁を、知識を得ることで取っ払えるなら、取っ払ってしまいたい。
人に素直に頼れる方が、人との繋がりを確かなものにして、困難なタスクも乗り越えていくことができるはずです。しかし、今の自分には限界があります。いくら知識や技術を高めたところで、どうしても限界が来る。ソロプレイヤーの限界みたいなもので、やっぱりチームプレイで事に臨んだほうが成果が上がることが、この協調社会では多いんです。だから、それに最適化したい。
人間関係が面倒くさすぎる…特に面倒なのは他人への頼みごと。できれば全部自分でやりたい。
— 羆 (@poji_higuma) 2017年6月7日
けど、そうもいかないのが社会なんだよな(;´д`)
面倒くさい、というのも、どこかにあるかもしれません。
しかし、「面倒」だけでここまで何事もひとりで背負いこむというのは、もはや病気の域なんじゃないかなーと思うのですけどね。
最後に
こちらを紹介します。
人に頼るのが下手です。
と言うか、苦手です。誰かに助けてもらえたらとても楽になることもあるのに、人に頼ることに罪悪感があります。
例えば、旦那に家事・育児を助けてもらったり、高い場所にある物を取ってもらったり、家電の配線をしてもらったり、洗車をしてもらったり。
突然の雨で、家に居る旦那に「洗濯物取り込んで」も言えません。
実家の親に、自分が体調が悪い時に子どもの面倒を見てもらったり。
長女の幼稚園の先生に、何かお願いをするのも、すごく気が引けます。
自分の子どもにもお手伝いのお願いができません。自分のやり方に強いこだわりがあるわけでは無いんです。
けれど、周りの人に頼み事をすることに、すごく罪悪感を感じます。
『こんなこと頼まれたら、相手は嫌な気持ちになるんじゃないか』『怒らせるんじゃないか』と言う考えが消えず、結局全部自分で抱え込むので、身体も気持ちもすごくしんどくなります。カウンセリングの先生や、市の保健士さんに『もっと周りに甘えて助けてもらわないと…』とアドバイスをされますが、それが出来ないんです。
逆に、周りから頼まれ事をされるのは、全然苦になりません。
旦那はそんな私を見て「手伝えることがあれば、言ってくれればやる」と言ってくれます。
多分よっぽど無茶なお願いをしない限りは、手伝ってくれるんだと思います。どうしたら、罪悪感無く人に頼ることができるようになると思いますか?
もう、自分で全部を背負い込むことに疲れました。
僕と同じような気持ちを抱えている人が、ほかにもいるんだなと胸を打たれました。
これが事実と信じると・・・こちらの方は、育児で大変な時期にも関わらず、だれにも頼れない性格で自分を追い詰めてしまったようですね。
最後の一文が、胸を打ちます。そうなんですよね、頼れないパーソナリティを持っていると、「もう背負いこむのは疲れたよ」って、なっちゃうんです。これ、凄いわかります。
ベストアンサーも読みごたえがあって良いです。この知恵袋は、良いですね。嘘か真かは、別として。同じような立場の人を勇気づけてくれると思いますよ。
僕と同じように、他人へ頼ることに罪悪感を感じてしまう方、いませんか?
もし、いらっしゃったとして、今は人に頼りながら社会生活を送ってらっしゃるのなら、是非とも乗り越え方を教えていただきたいです。
追記
2017年6月8日
記事公開から一夜明け、共感などのコメントとともに、具体的な本などについての情報提供がありましたので以下に紹介します。
他人へ頼ることに罪悪感を感じてしまい、お願いが苦手です - ポジ熊の人生記
私も同じでしたが綺麗事を並べても「他人を信用していない」これに尽きると思います。小倉広さんの「自分でやった方が早い病」という本がおすすめです。まだ意識しないといけませんが私はこの本で少し変われました。
2017/06/07 18:40
教えてくれた「自分でやった方が早い病」という本。 タイトルを見るだけで、心が痛くなります。それ、僕のことかー!!なんて(笑)
さっそく購入しました。2日後に到着予定です。
他人へ頼ることに罪悪感を感じてしまい、お願いが苦手です - ポジ熊の人生記
私の場合、頼って断られたときのショックを考えると頼めないという結局自分の体裁を守るための行動です。それでも昔より少しはマシになりました。反応しない練習 という本はきっともう読まれましたよね。
2017/06/07 18:50
「反応しない練習」は、書籍ではなくAmazonオーディブルでいちど聴いたことがありました。だから、教えてくれた際は「ん、どっかで名前を聞いたことがあるな」と感じたのです。
でも、アウトプット(感想を書くなど)をしなければ、内容は頭にあまり残らないものですね。というわけでこちらも改めて聴いてみようと思います。本日、さっそく!
いますぐ読むなら、Kinkle版のこちらが良さそうですね。
「反応しない練習」を聴いて
改めて聴きました。
内容は、原理仏教を頼りに、外側に反応して心乱されることのない生活をいかに送るか?というものです。
「仏教」って聞くと、宗教ですか?って身構えちゃう人も多かろうと存じますが、テーラワーダ仏教関連の書籍を読んだ僕の感想として「原理仏教は超現実的」なんですよね。つまり、スピリチュアルというよりは地に足付けた、見方によってはドライな考え方とも言えるのです。
ま、早い話が、色んなことで悩んで心乱されている人にとっては、悩みが軽くなるためのヒントを解りやすく得られる本ってことですよ。おすすめです。
沖縄の心理カウンセラー 斎藤暁子さんから、メールを頂きました。
※ホームページはこちら http://saitomental.ti-da.net/
記事を読んでくれたようで、旦那様とともに執筆した本を、何らかのてがかりにしてほしいという親切な内容です。
勧めていただいたこちらの本も、2日後に届く予定です。
読ませていただきます。
本を勧めてくれた方を始め、コメントを寄せていただいた多くの読者に、感謝しています。