ポジ熊の人生記

雑記ブログの育て方をメインコンテンツに、時事オピニオンや書評などを日々更新中です。

運動会は足の遅い子が泣くイベント

こんばんは。

今日は子供の運動会に行ってきましたよ。

ビリッけつの子供は朝から泣いていたそうです。

シングルマザーの元嫁は限られた休日が午前午後ともに削られて疲弊してました。

運動会について

文部科学省の学習指導要領の一部を引用

心身の健全な発達や健康の保持増進などについての関心を高め,安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵(かん)養,体力の向上などに資するような活動を行うこと。

第6章 特別活動:文部科学省

〔学校行事〕ー2 内容ー(3)健康安全・体育的行事 より

 

規律ある集団行動を育む、という部分は運動会の子供たちを見ていて納得。前時代的なものも感じつつ、社会に出ていくための力を付けるには確かに必要不可欠なのかなとも感じます。

運動に親しむ態度、というのも確かに大事かもしれません。「俺っちはどうせ、できねえから」という運動に対して斜に構えた姿勢は、良いとは言い難いですからね。ただ、今回述べる子供の身体能力の個人差を考えると、ここはちょっと一概に言えないんじゃないかな。

運動会を見て率直な感想を

とりあえず、足の遅い我が子は常にビリっけつ。負けず嫌いなのに走るのが遅いから、ほぼすべての競技で悔し涙を流します。

親としては「順位なんて関係ない、一生懸命走ったその瞬間にこそ価値があるのだ」と日頃から教えていますし、今回も競技に臨むも辛酸をなめた子供に対し「よく頑張ったな」と褒めることは忘れていません。

反面、いちどで良いから「1」のフラッグを持たせてあげたいとも思いました。成功体験は必要です。それを繰り返すことで、人間は自信と尊厳を身につけていくものです。しかし、足の遅い子供はその栄光をつかみ取ることが困難であります。

酸いも甘いも経験した大人の立場で「悔しい涙は未来に繋がる」とか綺麗事を並べ立てたところで、本人は衆人環視下でビリのゴールをするわけですから、幼い子供の羞恥心をこれ以上ないくらいに刺激されてさぞかし辛いだろうなと察します。

 

「休み時間に走る練習をしたのに、全然速くなれない」とこぼしていた子供の地道な努力を想像すると、キーボードを叩いていてもこみ上げるものがあります。

やっぱり、素質は大きいのかなと。特に幼いうちは生まれながらにして持っているもので差が付きやすい。自分が学童の頃を思い返してみると、そうだった。ここを見ている諸氏もそうだったのでは?

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足が速い子は栄光をつかみ取る。むしろ「ここが自分の見せ場だ」と言わんばかりに活躍する。それが害とは言いませんけど、その陰で敗れている者への配慮もあって然りだと思います。

1位、もしくは1位と僅差の2位を獲得するご子息ご息女をお持ちのご家庭はさぞかし盛り上がることと存じます。それはそれで結構。ただ、足の遅い子も脚光を浴びるような競技も適度に織り交ぜていただけると、万年ビリっけつの子供を持つ親に光明をもたらすのではないかと。

こういうのがエスカレートして「お手て繋いでゴールイン」に発展していったのではないかと推測します。これはこれで弊害がありましたよね。だから、声高に「子供を競わすな」と述べることはできない。でも、足の遅い我が子が泣きとおす苦渋のイベント「運動会」に一言申さないわけにもいかない、という苦しい心境なのであります。察していただけますでしょうか。

 

競わすのは悪いことじゃなく、むしろ幼い頃から競争社会の厳しさを教えるにはもってこいのイベントだと思います。だから、今のうちに個体差含めて社会というのは差別の温床であり、優れたものがその通り優遇され、劣るものが優れたものの養分になるんだよ、というリアルな現実を教えるにはこれ以上ないイベントなのかもしれません。

皮肉交じりになりましたが、でも、光と影があると思います。子供には、形は工夫する必要はありますが社会の全ての面を見せてあげる必要がある。綺麗なところだけを見せ続けた結果、魚は切り身で泳いでいる、とか箱入りを通り越した突飛な社会的視点のない大人を生み出してしまう危険性もある。やっぱり、こういう残酷なイベントは必要なのかもしれません。

 

あと、あれです。現行の競技は時間を短縮して午前中で切り上げるべきです。炎天下の中で食中毒のリスクを背負いながら早朝から弁当作りをする意味がわかりません。昼前に終われば、そのあとは各ご家庭で食事をするなり祖父母のセカンドポケットで回転ずしでも喰らうなり、それなりにやりようは出てくる。でも、昼をまたぐが故に煩雑な業務が増えて、作る暇のない人はLチキをかじってお茶を濁す羽目になったりするのです。

見ていて思います、運動会。もう少し、尺を短くできる。あのダレダレな進行や存在の意味すら疑うような競技は削りましょう。そんで、運動会は昼前に終わりましょう。

シングルマザーの元嫁さんも、絶賛悲鳴を上げていますよ。目の下にくまを作って、持参した稲荷ずしは回らない寿司屋のより美味しかった。

 

それと、運動会に来てくれない家族を持った子供は、どーするの?親子競技もそうですけど、「幸せな親子ありきな運動会」も、ちょっとどうかな、と。ベクトルは間違っちゃいけないとは思いまして、そういう家庭を生み出さない社会をつくるのが我々の使命とは感じていますが、でも、現行の運動会はそうではない。そういうところの配慮をしっかりやれていないところは、人間的に遅れているなぁと感じます。幸せな家庭ばっかりじゃねえんだぞ、そこんとこ分かってんのか!

親子でムカデ競争したり、ああいうのは、親や兄弟が出て行かない子はどうしているのか?先生が代理になって、やっているのだろうか。それともOBの優しい中学生が体を張ってんだろうか。ここらへんは、運営側になってみないと、わかんない。

 

で、足の遅い子供が地べたを這うのが運動会なのかといえば、それだけじゃなくて、要領の悪い子も恥のかきっぱなし。競技内容が複雑すぎて、「私は次に何をしたらいいの?」という判断への迷いを生じさせる子供が、ゴールへ至る時間を大幅に増加させている傾向がありました。ええ、なにを隠そう、うちの子です。

こういう状況判断も養うのが運動会の趣旨にあるのですかい?さきほど書いた文部科学省のうんたらかんたらでは、協調性を養うことも趣旨としてあるようですね。あー、確かになるほど、そうですね。周りを見ながら自分の動きを決める能力を研ぎ澄ますには、悪くない試みです。

でも、こうやって集団に馴染むことを半ば強制させて、それについていけない子供をビリにするシステムというのは、どうなんでしょう。大事かもしれませんよ。でも、なんというか、独創性を評価する部分がほとんど見当たらない。

 

終わりに

さんざん、とっ散らかった内容になってしまいましたが。

とりあえず運動会は午前中で終わったらどう?

ってことと

足の遅い我が子も、シングルマザーの母親も辛い思いをしている

ってこと。

これを離婚後に運動会に参加した父親が見て、素人目線で好き放題に感想を述べた。それがこの記事です。

  • 教育の現場に立つ者の視点から
  • 運営するPTAの立場から
  • 前時代を生きた祖父母の立場から

色々な意見や視点があることと存じます。僕の視点は、一人のものではあるけども、確かに存在する意見です。

みなさんは、運動会、どう思います?

足の速い子を持つ親は、1位でゴールテープを切る子供を見て悦に入り「運動会をなくすとか考えられない」って思うのかな。