このイラスト好き
今回は「若者の恋愛離れ」で一本書きます。はっきり申すとグダグダですので覚悟してください。
若者の恋愛離れ
「若者の恋愛離れ」を考える 「割に合わない嗜好品に」:朝日新聞デジタル
この記事。朝日新聞デジタルさん、どうしちゃったの・・・
まぁこちらとしてはブログの肴にできるので好ましいのですけどね。
さて、記事内の文章を引用して所感を書いてみましょうか!
恋愛は嗜好品
若者の恋愛観を、実際に当事者に話を聞きながら調べ続けてきました。今の20~30代は、恋愛を必需品ではなくて嗜好(しこう)品と捉えており、手間やリスクを考えると割に合わないもの、と考える人が多くなっていると感じます。
恋愛を嗜好品と捉えているのが現代の若者。うーん、これは的を射ているのではないでしょうか。日常生活に恋愛がなくても生きていけるじゃないですか。つまり必需品ではない。その通りだ!
・・・が、ここで疑問なのだけど恋愛が必需品の時代ってあったんだろうか?両親を始め職場のおっちゃん連中は、そういう時代を生きてきたのだろうか?
東京ラブストーリーが僕の記憶の中で最も古い恋愛ドラマなのですけど、こういうのを全国のお茶の間でかじりついて見ていた世代にとっては、当たり前のように恋愛をしていたってことなのか?
はたまた恋愛の延長上に必然として結婚が待っており、社会では結婚するのが当然という風潮があるから恋愛もして然るべきという順序で恋愛の必然性が保たれていたのかもしれない。
周りを見渡すとこんな頑固で子供っぽいおっさん連中もほとんどが結婚しているところを見ると、どうも個々の能力に応じて結婚が委ねられていたのとは違う様相を呈していたのではあるまいか。通過儀礼的に結婚が行われていた可能性もある。こんなことを職場の人に聞かれたら大変なことになるな。匿名ブロガーで本当に良かった。
( ゚Д゚)はっ!引用文の冒頭でこんなに垂れ流していては先に進まないのでこの文節への所感はこのへんで切り上げよう。
男女平等と金銭感覚
21世紀に入り、まず変わったのが男性の恋愛観です。景気低迷と将来不安の高まりから、無用な消費を嫌がり、わざわざ恋をしてお金や時間を使いたくない。初めから男女平等の教育を受けており「男が引っ張る」感覚も弱い。
「男が」「女が」とか違和感を覚えますね。そもそも男が引っ張るのが当たり前だという風潮が間違っている。別に女が引っ張ったって良いじゃない。けん引免許はいらんぞ?なーんて考えるあたりが「男女平等教育の影響」なのかもしれない。
無用な消費を抑える意識は確かに強い。夜の繁華街に投げ銭する若者なんて絶滅危惧種に指定してもいいくらいだ。それよりも景気低迷や将来不安など漠然としたものじゃなくて差し迫ったヤバさとして給料が低いんじゃねえ?正規と不正規の雇用バランス見りゃ一目瞭然。金がないんだっつうの!恋愛に割く金がない。生きるのに必死ってことです。
個人的には恋にお金は必要ないんですけどね。田舎を例に挙げますがイオンモールのお祭り広場で待ち合わせして、そこで数時間にわたりお互いの思想主義をぶつけ合い最後にはハグして終わる恋愛だってアリじゃないですか?僕としては理想です。小高い丘のレストランで綺麗な夜景を背景に瞳に乾杯しないと満足できないような女子とはこちとら願い下げなわけです。恋愛に背伸びはいらないんですよ。
または一緒に散歩しながら色々と語り合うデートだって良いじゃないですか。もう想像しただけで色々と滲みますよ。失敬。とにかく恋愛にお金をかけるというステレオタイプの価値観を今後は全力でぶっ壊していかないと。僕は常に何かの組織と戦っています。自分でもよくわかってないんですけどね。まぁ・・・市場の仕掛け人が「金のないデート」を認めるわけもありませんから、扇動されるマジョリティは「お金をかけた素敵なデート」に傾倒するのも歯止めが利かなそうな気はしますけどね(敗北宣言)。
現代は満たされやすいという嘘
それでも、少し前まで女性には恋愛願望がみられましたが、最近は男女を問わず「恋愛は面倒」という声が多くなりました。おそらく最大の理由は、常にスマホでネットや人とつながっている「超情報化社会」になったことです。
まず、満たされやすくなっています。私の大学時代は、授業以外はサークルかバイト、あとはデートぐらいしか楽しみがなかった。でも今は無料の動画やゲームも多く、友人とも常時つながっている。恋をしなくても、いくらでも楽しく過ごせます。性愛への関心も、今はスマホで満たせる。困り事も、助けてくれた誰かにときめく前にスマホが解決してしまい、ロマンチックな瞬間が訪れにくい。
満たされやすくって、いったいどこが満たされているんですか。本当に満たされているなら、こんなにメンヘラは増えませんよ。本当に満たされている人なんてほんのわずかしかいない。過去にも述べた通り現代社会は幸せの定義がないといっても過言じゃない。それぞれに幸せ探ししなきゃいけないんです。だからどこか空虚で心から満足して1日を終えられないんです。そんな世の中で「満たされやすくなってます」とは片腹痛い。満たされやすく、というより「時間の間隙を埋めやすくなっています」、と表現したほうが的確かもしれんよ。猫も杓子もスマホを見ながら生活してる。空く時間なんてほとんどないでしょ。
ちょっと誤解を承知で述べますけど、言ってることはそんなに外れてない。というのも娯楽のない地域では楽しみと言えば男女の営みだったりする。そこにインターネットが普及して暇を持て余さなくなったものだから男女の接触が次第に薄れていったという考察は否定できないのですな。
「恋をしなくてもいくらでも楽しく過ごせる」というのは、うん、わかる、わかるよー!家に一人で住んでてつくづく感じるもの。一人はなんて素晴らしいのだろうか、と。ただ、ここ、「恋愛は必需品じゃない」とトートロジーになっている気がしないでもない・・・
性愛への関心もスマホで。うん。ここは述べるまでもない。
人との関係は希薄に
職場ではハラスメント扱いされるのが心配で誘いにくいし、やっと告白しても、内容を転送されて恥をかいたり。付き合えば、行動がスマホ上で筒抜けで束縛されやすく、別れれば、相手のスマホに自分のデータや画像が残っているからストーカーやリベンジポルノも怖い。これだけの面倒やリスクを背負ってまで、特定の人と深い関係になる必然性が薄れているのです。
対人関係のリスクを背負いたくない、という風潮は近年に見られる虚礼廃止とも密接に繋がっている。人と仲良くなる、ということは摩擦も起きやすくなるということ。学童時の付き合いを思い返してほしい。仲が良いほどに喧嘩もそれなりにあったのでは?社会人になって摩擦にリソースを振る余裕なんてほとんどなくて、愛想笑いと社交辞令、自分の仕事をこなすことにパラメータ全振りでしょ。これでどうやって腹を見せながら人と付き合えば良いんだろうってほんと思うわ。
いやしかし、それにしてもだ。SNSで爆散されたりリベンジポルノ決められたりと、確かにインターネット社会特有の恐ろしさはリスクとしてあるよ。でもさー、相手の崩壊したパーソナリティを読み誤るか否かというのは、とどのつまり自分の恋人を見る目にもかかってくるんじゃないのかい。自己責任論を振りかざすつもりはないけれど、一時の恋愛麻薬でパッパラパーになって針の穴から天を覗くが如き心境に陥ってしまったら、もう庇いようがないんですよね。あ、これ経験者談だから。
言葉巧みに自己肯定感の低い人をターゲットにして玩具にした挙句、責任も取らずにケツをまくる御大も少なからず存在しますので、まずは各々がたが自己肯定感を上げるための健全なメンタルを作り上げることが必要ですな。
世代を越えた恋愛観の共有はほとんど不可能
だから、上の世代は「恋愛しない方がおかしい」と自分たちの感覚で見ず、そうした現代的な難しさを理解した上でサポートする必要があります。
上の世代は上の世代でもうカッチンコチンに凝り固まった恋愛観(結婚観)ですから、これを氷解するのはほぼ不可能と判断しています。中には柔軟でクレバーな御仁も存在するかもしれませんが、金脈を掘り当てるくらい見つけるのは難しいかもしれませんよ。世代にこびりついた固定観念というのは、本当に頑固な「よごれ」です。
他人事ではありません。我々が次世代を迎えるにあたり、結局自分の世代が経験してきた価値観がスタンダードであり、それを当てはめて「最近の若い者は」なんて言っちゃうんですから。少しでも、理解はできなくとも共感くらいはできるほどに若いアンテナを立てたいものです。
「スマホ断ち」?インフラ断ちしろと?
当の若者には、パートナーを見つける動物的本能を取り戻すため、時々は「スマホ断ち」も大切だと伝えたい。ネットと切れた状態で、「あの人に会いたい」といった自分の自然な感情に、静かに耳を傾ける時間も必要です。
無理無理。馬鹿言っちゃいけない。スマートフォンはもはやインフラ。それを断てというのは現代の若者にとってみれば「水を断て」に等しい。これはあまり考えた意見じゃないだろ。老害の戯言と一蹴されても文句は言えまい。スマホ断ちされたら3DSやPS4やって寝るだけ!動物的本能に従うやつはむしろスマホを利用して相手と会ってる。そこは盛る者のアドバンテージ。あと「相手に会いたい」いうてもPHSすらないのなら固定電話でアポとるのか。実家住みはオトンとオカンの2重障壁に守られているんですが、これをどうやって貫通させりゃ良いんだ?かといってアポなしで「来ちゃった・・・///」とか漫画の中だけにしとけよというレベルの非常識であり(以下省略
恋愛麻薬は危険
今の若者は賢く先読みしがちですが、人生を納得させるためにも、一度は後先考えずに「燃え上がる恋」をするのも悪くないと思うのですが。(聞き手・吉川啓一郎)
[https://twitter.com/poji_higuma/status/940536050753007617:embed#恋愛麻薬が怖くて簡単に踏み切れないのが恋愛。燃え上がる恋を是認するのは相手のパーソナリティを見誤る人を増やしかねないので危険。 / “「若者の恋愛離れ」を考える 「割に合わない嗜好品に」:朝日新聞デジタル” https://t.co/KORGcg7rb9]
ま、怪我しても良いなら、謎の紐でバンジージャンプすることは止めはしないけれども。
ここまでは他人の記事にあーだーこーだ述べたのでいまいち乗りが悪かったけど、
これからが本当のオピニオンだ…
おっさんの恋愛観
そもそも恋愛なんてしなくてもOK。
いや、しても良いよ。あれは良いものだ。けど、夢中になると周りが見えなくなるし人の助言も聞けなくなるしで進む方向を誤りがちなんだ。だからあんまりお勧めしたくない。
でも、別に幸せの条件に恋愛は入ってこない。他者と関わる、というのが人生の高尚なステージだとしたらそれに恋愛感情は必須なのかと考えれば、恋愛ありきでものごとを語るのがいかに稚拙かを感じやすいんじゃない?親子でも兄弟でも姉妹でも従妹でもお隣さんでもどの他人でも良い、誰かと関わるのに恋愛は必須じゃない。
それなのにメディアは恋愛を煽る。金銭ありきのベクトルで全力で煽ってくる。それでリテラシーの低い恋人のいない人が焦る。ほんとは自分の楽しいことをして十分満たされた人生を送っているのに、強制的に流れてくる電波では「まだ恋人いないの?」の喧伝。極めつけは結婚だね。メディア(もしくは営利企業)は「男性は年収、女性は若さや美貌」これを嫌らしいくらい前面に押し出してくるでしょ。こういうの吐き気がする。
真に大事なのは内面。
それを早いうちに理解する必要がある。年収や年齢、見た目なんて些細なことだと悟れる年齢が若ければ若いほど、パートナーを選ぶ際は狂いを生じにくくなる。あくまでもパートナーを選ぶ際ね。別に一人でもOKなんだよ。パートナー選びだけじゃない。友人関係もそうよ。自分が今後付き合うべき人間関係も内面をいかに見通せるかで明暗が分かれると言える。周りに付き合うべき人がいなければ、無理に付き合う必要はない。よろしくない人と無理に繋がるくらいなら、一人のがずっとマシ。
お互いに対等の立場になって、相互に尊重し幸せを願いあって苦労を分かち合う。そんな関係に巡り合うためには、まずは自分を目いっぱい幸せにしてやらにゃならない。自分の子供にも散々言ってますけど「自分が幸せじゃないくせに誰かを幸せにしたいなんて妄言だ。不幸せな人間は他者の幸せを吸い取り、結果として双方が不幸になる。誰かを幸せにしたければ、まずは自分が幸せになることだ。自分の幸せのコップをいっぱいに貯めて、そこからあふれ出た幸せを分け与える。それなら見返り無しに幸せを配れるだろう。そうすることで初めて誰かに幸せをお裾分けできるんだ」と(原文ママ
恋愛したいよ?(おわりに)
うーん、僕が恋愛をしたいかと言えば、したくないと言えば嘘になるんだよな。年齢を重ねるとともに価値観が多様化してきて、「可愛い」から「人柄が良さそう」に好みがシフトチェンジしてきた。次に選ぶ人はきっと容姿じゃない。内面から滲み出るものに惹かれていくんだと思う。
けど、どうにも踏み切れない部分はある。さっき紹介したツイートでも言ったけど恋愛麻薬は怖い。これだけ色々なことを経験していても、あの麻酔のような恍惚感に果たして今の自分が抗えるのかどうなのか自信がない。いやむしろこれだけ経験したからこそ恋愛が招く破滅をリアルに想像して、誰かに踏み込むくらいの恋心を抱けないのかもしれません。
自分の立場は良いんです。借金まみれだろうとバツ2だろうと、本気で好きになった人にはきっと「好きです」という言葉を伝えられると思います。けど、でも、どうしてもハードルが高いのですよね。まだ、誰かと深い関係になるのが怖いのかもしれない。もしくは今までいちども本当の意味で真の自分を見せられなかったがゆえに行動を起こせないのかもしれません。
「かもしれません」のオンパレードでこの記事を締めようとしています。お許しください。先ほども述べたように恋愛は必須ではありません。ですので現在恋人がいない人も周りの言葉は気にせずにどうか自分の幸せを歩んでください。
周りやメディアの扇動に右往左往してしまう人は、もっと根本的なところに原因はあるのだと思います。一人でいる自分を惨めだと考えてしまうのは、語弊を承知で述べますが病的なことです。まずは自己肯定感の醸成を。目安は一人で過ごしても楽しくなることです。それができたのなら、あなたのパワーは充電されていきますから、それが溢れた段階で他者(誰とでも構いません)と真の人間関係を築くために一歩を踏み出してはいかがでしょうか。
僕も、一人になって数年が経過します。そろそろメーターが満タンになる頃。来年の春までには何かしらの縁があるかもしれません。今後は背伸びせずに自分を出していきたい。
ここでも暑苦しく語ってたわ、そういや