羆の人生記

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八木さんキャンピングカー引退宣言とマイルドヤンキー最強説

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キャンピングカー引退宣言。たった4ヶ月で車上生活を挫折した理由 | やぎろぐ

インターネットで何かと話題の人であった八木仁平さんが、4か月のキャンピングカー生活に幕を下ろしたそうです。引用先記事では引退の理由について簡単に述べられていますが、今回はそれを見た感想を有体に述べたいと思います。

普通に怖い生活

八木さんは自分を内向的だと評価し、外部からの刺激が強いキャンピングカー生活は肌に合わなかったそうです。

 

キャンピングカー生活って、想像するに普通に怖い生活ですよ。

 

僕らは普段、鍵付きの屋根と壁がある場所を安心の拠り所として生活しています(そうじゃない方もいますが)。これってすごく重要なことで、「ここに帰ってくればとりあえず安心」という欲求を満たすことができる。もし、この確固たる基盤がなければ、外部に対する信頼感の構築も困難になりますし、常に緊張感に晒されることになりかねない。

 

僕にとって自宅は心を調律するための安心できる「自分の基地」であり、何よりも静謐を得るために不可欠です。どんなにローンが苦しくても、そこに支払う対価としては適切なものだと捉えています。

 

キャンピングカー引退宣言

 

さて、キャンピングカー生活における安全は確保されるのでしょうか。

 

行く先々で不定な車の止め場所を確保せねばならない。例えば道の駅に駐車するとして、その周りにタガの外れたアウトローな人がいないとも限らない。深夜2時~明け方5時などは人通りもほとんどなくなるでしょうし、そんな時に薄い鉄板1枚で寝床を守れるのか。

 

僕にはとてもじゃないけど、自分の身を守れる自信がないんですよねー(´・ω・`)だって、家に一人でいるときでさえ「ドアや窓を突破して荒くれものが入ってきたらどうしようかな、何か対策を考えておくか」ってリアルに想像しているくらいですよ。それが、キャンピングカーの薄い外壁1枚なんて、怖すぎます...。

 

世界的に暴力は減少傾向にあるものの、殺人事件などはなくなりませんからね。もし、相手を問わない破壊衝動に駆られた人がトローリングを始めた時に、分厚い施錠ドアに守られた家か、ポツンと駐車してあるキャンピングカーか、どちらを狙うかは明々白々でしょう。

 

では次に、人との繋がりの観点からキャンパーとマイルドヤンキーを比較して考えてみます。

 

マイルドヤンキー最強

マイルドヤンキー - Wikipedia

マイルドヤンキーというのは収入が低くても地元の人脈を生かして独自のセーフティネットワークを築き上げ、生活している人を指す言葉だと認識しています。

 

彼らには安心がある。家がある、という部分はもちろんですが、地元という慣れた土地勘と親や友人知人というネットワークに守られて、行政サービスを凌ぐ強固な基盤を築き上げています。

 

かたやキャンピングカー生活というのはどうでしょうか。見知らずの土地で頼る人もいなく、安心とはおよそかけ離れた生活になってしまう。

 

八木さんは月々、多くの収益を得て金銭的には困っていなかったはずです。ですが、いざキャンピングカー生活を始めてしまうと、お金では拭いきれない不安とぶちあたることになり、挫折する大きな要素になってしまいました。

 

つまるところ、よほど破天荒で外部の脅威も脅威と感じないほど肝が据わっており、なおかつ趣味と仕事の境界が曖昧にできるマイノリティな人くらいしかキャンピングカー生活というのは馴染まない(特殊な事情がある場合は別ですが)。

 

僕もそうですけど、なんだかんだで人との繋がりに助けられ、新たな刺激に弱い内向的な人間は地元に根を張ってそこでいかに暮らしていくかに注力すべきなのでは、と。こう考えるわけですよ。

 

マイルドヤンキーって揶揄っぽく使われることが多い言葉ですが、実はとても合理的な生き方をしていると感じます。少ない収入でも幸福感や所属感を十分に満たして、人とつながりながら日々を充実させているのですから。

その場しのぎの社会保障どころか身寄りもないフリーターとはまた違ったクラスタではないでしょうか。年収だけでは、人の幸福度は図れないということです。

 

「最強」と冠してしまうと、少々開き直った印象を与えてしまうかもしれませんね。ですが、この格差社会において、どんなにもがいてもうだつも収入も上がらない現実を素直に受け入れてスマートに生きる姿はとても眩しい。夢に向かって奮闘する姿も悪くはありませんが、受け入れる素直さもまた美しいのです。

 

 

少々、話が逸れましたが、キャンピングカー生活というのは地元のあらゆる縁と物理的にも精神的にも離れてしまうことを意味します。ここでも、自分がそれに適しているかをしっかりと考える重要なファクターになりそうですね。僕にはとてもじゃないけど真似できません、未だに親のお世話になることも多いですし、離れると困るネットワークが多数ありますから(´・ω・`)

 

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おわりに

八木さんはブログの中で「やらなくてよかったこと」と述べています。僕はね、これは違うと思うんです。「内向的で運転が不向きな自分にはキャンピングカー生活は向かない」ということを、身をもって知ることができたのですから。

それに、話題づくりだっていっぱいできたわけですよね。いくら挫折とはいえ、これもまた耳目を集めるには十分なネタになるでしょう。

 

自分の弱さを、たとえ宣伝目的でもこのように晒せるというのは、称賛に値します。強さだけを誇示して人を惹き付ける人よりも、ずっと人間的で魅力を感じますよ。ストレングスファインダーなんかよりも有意義じゃないですか。お金と時間をつぎ込んだかもしれませんが、そこは授業料と割り切れば良いのです。

 

欲を言えば、今回の失敗で具体的にどんな障害にぶち当たったのかをつぶさに発信してほしかったです。端的でわかりやすい内容だったのですが、これからチャレンジしたい人や僕のような「その生活ではどんな困難があるの?」と興味を持つ人にとっては、少々物足りない内容に感じました。

 

 

彼の運営しているブログ教室については懐疑的なエントリをいくつか書きましたが、今回の件で彼のことが少し好きになった気がします。多くの人が批判した「キャンピングカー生活」を実行に移して、たった4か月で引退宣言するその様は、今を生きている若者特有の力強さと儚さをこれでもかというくらい鮮明に表現しているように感じます。

 

 

引退宣言が計画的だったという可能性も否定はできませんが、こうやって記事を書けるくらいの話題を提供してくれたことは事実ですからね。今後の彼の動向には目が離せません。

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